自然の傾向に逆らうこと
4年前に津久井やまゆり園で入所者ら45人が殺傷された事件が起こった際、「わたしたちもまた植松聖死刑囚(当時は容疑者)と変わらないのだ」という意見もあった。つまり、彼だけを特異な化物として扱うのではなく、彼と共通の差別意識を、わたしたちも根底には持っているということである。そしてその指摘には深い意義があったし、わたしもまた、その問いを自らへ問いかけられたものとして、今なお重く受け止めている。
日常的な差別意識というのは、ある状況や属性を持つ人に対しては反射的と言ってもいいほどに共感や憐憫の情を抱くのに、別の人に対しては、そうした感情を抱くどころか、むしろ嫌悪すら感じてしまうという事実である。そして上記の指摘は、その事実と植松聖の犯行とは地続きであるという理解に立っている。
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