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夢の知覚

〈神隠し〉

神隠しに
あひたしと思へど
隠し神の何処へか
隠れ給ひき
されば邪教の夢見者となりて
裏路地の灯火の下
賑わふ人らのあひだを縫ひ
どこまでも彷徨ひ歩けば
マヨヒガの窓の灯り
とほく近く明滅し
暗き橋は崩れしも
街隔てたる
河渡るべし


〈ゆふべの歌〉

芭蕉の〈秋の暮れ〉も
柳田国男の〈ゆふぐれ〉も
ヴェルレエヌの〈池のほとり〉も
クジラやトビウオの群れたちとともに
マイクロプラスティックに汚染されて
今やきっと
遺伝子に無数の傷を負っている
増殖するのは熊の子や舞茸や
葦牙や筍ではない
この国では腸や肝臓や肺の
癌細胞ばかりであろう
そしてたくさんの人たちが
つまさきを凝視しながら
よろよろと
か細い道を歩まねばならない

しかしわたしたちは夢に内閉し
街の景色や色彩や
データベースソフトのプログラムさえ
時の構造に同期させるのである
するとわたしたちは
〈秋のゆふぐれ〉の池のほとりを
再び彷徨い歩くことになる
夢の刻む時の形態として


〈目覚めの歌〉

昨晩のあの力が
我が胸をぐいぐいと押し上げた
隆起する大地のような力が
どこかへ消えてしまったようだ
高揚感はすっかりなくなり
夢見はひどく悪く
まるでひと眠りしている間に
害虫たちが寄ってたかって
命の果汁を吸い尽くしてしまったかのようだ

よく晴れた冬の午後に
落葉樹の枯葉が敷き詰められた通りを歩いたり
休日
常緑樹のこもれ陽が静かに揺れるのをぼんやり眺めていたり
ほんとうの望みと言えばそれくらいなものだが
どうやらわたしには許されていないようである

この朝は
氷の塊のように静まりかえり
ざらざらとした焦燥が吹いている


〈曇天〉

なんと美しい真冬の曇天…
わたしは西の空を見上げ
押しつぶされた原野や
間引かれた氷漬けの胎児や
そんな暗い民俗を差し出して
鉛色の雲と
束の間失意を交換する
いつか滅びる国家や資本についての
思考は置いておこう
わたしたちにとって
今この投影と交換こそがたいせつである
この沼地に写り込む
曇天が沈黙する時


〈彷徨者(前世紀)〉

十一月の午後の弱々しい陽射し…
パチンコ屋やゲームセンターがたち並び
猥雑な熱気でむせ返りそうな
アーケードの雑踏に身を潜める
おもちゃ屋の店先で小さな猿の玩具が
カシャンカシャンといつまでもシンバルを打ち続けている
金色に髪を染めた少女がゲームセンターから出てきた
染みだらけのデニムのミニスカートに
生白く太い脚…
彷徨者の夢がそれを知覚する
すると路上の少女は澱みを纏って
剥がされた無数のささくれから
血を流す

塵埃は乾き
酢えた陽射しが
アーケードを抜け出た人たちの顔を
赤黄色に染め上げる
立ち並ぶけばけばしい看板が色褪せていく
この街もどうにも馴染めそうになかった
ふらふらと逃げるように
彼は交差点の雑踏に紛れ込んでいった


〈旧市街〉

わたしたちの失意に底がないとして
年がら年中工事中の
あの我が夢の街に出入りするなら
それも一つの暗い
地勢的条件となるだろう
そしてあの連中への
日々の嫌悪や怒りが言葉にならず
脳裏に浮き沈みするとして
それも硬く荒れた旧市街の
壁面の水垢や
冷たい暗渠の水溜りとして
夢に知覚されるだろう
それなら新たに図面をひき直し
あの不可思議な職人たちに発注し直すのがよいだろう
夜間工事で重機を鳴らし
アスファルトを引き剥がしたり
瓦礫を持ち運んで地均しをする
彼らは一向に姿を見せないが
ぼんぼりのような眩しい夜間照明の下で
精霊のように夜通し働き続けている
新たに持ち上がった地勢的問題も
荒れ放題の旧市街も
ものともせずに街を整えている
宿命を逆手にとるために
彼らはもとから
すべての人々の夢の構造に組み込まれているはずである
わたしたちは日々の暮らしを静かに繰り返すことで
彼らに報酬を払う


〈新葉〉

ハナミズキの新葉を
夢にて知覚するならば
その光透く柔らかさのうちに
嬰児の掌を育むものと同じ力が
働いているのをわたしたちは知るだろう

ためらわれた言葉の奥の奥で
夢にて知覚するならば
日常のひとこまあるいは
季節の相の一瞬とは
おしなべて
そのようなものである


〈梟〉

あの榎の大木に梟が戻ってきたという
その家の女の子が梟の雛を真似して見せ
首をぐるっと回して
きゃっきゃっと笑い転げる

キッチンで洗い物をしながらその母親が言った
…この間夫婦で電線にとまってたんだよ
珍しいよねえ
それでそのこどもが庭にいて怪我してたんだよね
しばらく家に置いといたんだけど
かわいそうだから戻してやったんだよね
なぁ さっちゃん
ぐるって首まわしておかしかったなあ…

もう梟などこの町にはいなくなったと思っていたが

今は小さなさっちゃんがいつか大きくなって
ホーホーと鳴いている梟の声を
幻聴のように
夢の中で聴く時があるだろうか
故郷からも母親からも
遠く離され
ばさばさの髪になって
よろけて街を歩いているとき


〈彷徨者(今世紀)〉

穏やかな水の流れよ
今や誰も見向きもしない
コンクリートと有刺鉄線の内側に
それは音もなく穏やかに流れる
そして萱草は鄙びた土地で
アスファルトの隙間にさえ
居場所を見出し
太古の昔と変わらず
伸び放題に伸びていく

日輪がアスファルトも灼く季節
毛細管のように
この虚々しい土地の隅々にまで
そして名もなき草々の根の先にまで
行き渡る大河の水よ
それは常に
人の夢の舞台となる
体に染み付いた風景よ

祖霊たちの夢が
水神の社に沈黙している
いくつもの碑にそれは刻まれ
むせかえるような草叢に埋もれている
水神の社に油蝉が喧しく鳴く
家々は午睡のうちにある
そして水は静かに流れる
土手の草はそよともせず
わたしは川辺を行きつ戻りつし
暗い民俗を散策する
子どもたちの歓声は
聞こえなくなって久しい

わたしはその水の流れに
歴史と俯瞰図をみることができる
そして掘削の労苦と水神への祈りの
真摯さを聞くことができる
祖霊たちよと
対話することも

だから今や恩讐を超え
白い陽は
水面に照り映えるのである


〈写像の倫理〉

夢見られた大地に
樹木の形に似た
水利の体系が枝葉を広げていく
一つ一つの葉が涸れた田畑であり
涸れた田畑に向かって
我が王国の取水堰は一斉に開かれる
一方植物神経系では
血流の体系がそれを写像する
血圧は下がり
血流は穏やかに細胞間を行き来する
柳の根と雑草が血管の堤防を護る
一隅の涸れた毛細管に滋味の水が滲み出る
夢は代謝の夢となり代わり
代謝は夢を写し込む
心臓の鼓動が
日輪の周期となる

水利の体系が樹木の夢をみる
樹木の体系が血流を夢みる
血流の体系が
代謝の論理を夢みる
代謝の論理が
いつしか夢の王国の
水利の夢へと還る

そしてその全てを
葉脈の形が映しこむと
夜の空では星の配置が
それを象る
あらゆる層と圏域をつらぬいて
葉脈の形が変換と反復を繰り返す
その繰り返しが抽象された国家に
に堕することはないだろう

やがてそれは
一つの倫理の構造をなすに違いない
彼岸にあるものは此岸にあり
此岸にあるものは彼岸に反復するだろう
一つの存在の痛みが
一つの存在の痛みに
反射するだろう

眠りや死や
河や道や
つまり境界と異和を条件にして

贈与と返礼の
無限連鎖のように

そして
罪と罰の因果のように

まるでカルマ伝承の構造のように

〈花〉

繕われ虚構化された顔が剥がれ落ちると
少年は知っているようで知らないその少女に
あるがままの顔を晒してしまう
取り繕う間もなく野卑な姿をその少女に見せてしまう
そして虚飾の瓦礫の間から
みすぼらしい仔猫が止めようもなく這い出す
仔猫は荒れた放棄地や葦原を彷徨う
暗い民俗が取り憑いた寒々しい田園の景観には
糸の切れた凧のように
海馬の萎えた老農夫が徘徊し彷徨う
それでも少女はそれでいいのだとでも言うように
少年の傍に寄り添うのだ
生まれてはじめてラブレターをもらった男子のように
少年は驚き
困惑と歓喜が入り混じる気持ちを持て余し
右往左往する

言葉はためらわれ
少年はただ花を指し示す
その花の秘された意味を
たぶん少女は知っている

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