夢はでっかく、根はふかく。そして私は阿闍梨へと
「不幸」と「幸せじゃない」
どっちも幸せの否定形なのに意味が違う。
例えるなら
「ターミネーター2」と「ターミネーター3」
どっちもターミネーターの続編なのに全然違う。
どうして例えたんだろう。
そもそも、不幸と幸せじゃないのくだりは、私が言わんとしていることの例えじゃないのか?
ターミネーター2とターミネーター3のくだりは、不幸と幸せじゃないのくだりと本当に同義なのか?
私はこのように思考していく感じが結構好きだ。普段から、物事に違和感や矛盾を感じたらすぐに思考するし、大体の物事を否定的に捉えて、自分の言葉でツッコミを入れる。
でも、いくら思考したところで、周りの人に伝わらなければ、思考する面白さは半減する。
私は今、まさに、この問題に直面している。
自分の思考したことが、周りの人たちに理解されない。
自分の言葉のチョイスや伝え方、論理の展開の仕方
つまり、周りの人と自分とのズレが原因だと思う。
でも、周りの人と自分とのズレの中にこそ、面白さや自分の感性が現れるとも思う。
周りの人に合わすところ、自分らしさを貫くところ、このズレの最適なバランスを見つけ出して
ワンランク上の私、いうなれば阿闍梨となりて
みんなに、救いと笑いを届けたい。
そして、その見返りに、彼女が欲しい。
これが残された学生生活での、私の目標です。
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