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まにあえ、私。
帰省して親やきょうだいとひさしぶりに会い、昔のことなんかをあれこれ話していると、「えっ?!」と驚かされることが時々ある。
家族全員で経験した出来事のはずなのに、細部の記憶がそれぞれ微妙に違っていたり、とんでもない思い違いをしていたり、自分以外はなぜか誰も覚えてなかったり・・・。数十年の時を経て"思い出のズレ”が判明し、「へー!」なんて顔を見合わせたりするのだ。
この夏の帰省でも、そんな驚きの経験があった。それもけっこう衝撃的なレベルで。
子どもの頃、地味な服ばかり着ていた話は以前にも少し書いたが、私はその理由を長年、母親の好みだと思っていた。スカートよりもズボン、赤よりもえんじ、ピンクよりもカーキ。リボンやレースの装飾はほとんどなく、付いているのはポケットくらい。よく言えば落ち着いて悪目立ちしない、でもキラキラ感はあまりない、そんな格好で、アルバムの中の幼い私はニコニコ笑っている。子どもらしい愛らしさが服の地味さを見事にカバーしているのが救いだ。
小学校低学年の頃、デパートで見かけたワンピース。ピンクと白のチェック柄で、ウエストの後ろにはリボンも付いていて、とてもかわいかった。でも、きっと母の好みじゃないだろうと思い、黙っていた。鏡の前で合わせてみることもしなかった。当時の私はすでに、諦めていたのだろう。そういうものだと思っていたので、別に悲しくはなかったけれど。
帰省一日目の夕食時、なにかの流れで、そんな昔の服装の話になった。
「暗い色が多かったよね」
「フリフリ系のはほとんど持ってなかったね」
「お母さんが編んでくれたセーターも茶色だったし」
「親戚のおさがりもけっこう着てたよね」
洋服の思い出においては、私ときょうだいの記憶はしっかり一致していた。母の趣味で選んでいたのだろうという認識も、同じだった。
その会話を聞いていた母が、おもむろに言った。
「地味な服を着せたかったわけじゃないのよ。あなたたちがとてもかわいかったから、誘拐されないか心配で、だからお母さん、あまりきれいな格好をさせたくなかったの」
最初は冗談だと思った。でも、真面目な顔で話している様子からして、どうやら母は本気らしい。あまりにも予想外の告白に、私もきょうだいもぽかんとして、それから少し遅れて、大きな衝撃がやってきた。
えーーーーーーっっっ!!!!!
うそでしょっ? そんな理由だったの?
っていうか、誘拐されるかもなんて・・・・どんだけ親バカだよっ!
私は脳内で盛大にずっこけ、しばらく起き上がれなかった。
自分の子がかわいい気持ちはわかる。でもだからって買いかぶりすぎだ。明らかに度を超えた心配だ。父と母の遺伝子なんだから仕上がりもそこそこだとわかるだろうに、なぜそこまで心配できるんだ、信じられない。。。親心とはまったくバカげていて尊くて、いやはや、すごいものだ。
誘拐を心配して地味な服を選んでいた当時の母を想像すると、なんだか滑稽で、でも笑ってはいけないような気もして、その重すぎるほどの気持ちが後からじわじわと沁みてきた。
母が極端だったのか、世の中のお母さんはみんなそう思っているのか、子を持たない私にはわからない。でも多分、とても大事なことを聞かされている、ということだけは、わかる気がした。
(こうやって書いている今も、また少し恥ずかしい。)
(せめて笑って読んでもらえてるといいのですが。。。)
母に対する感情はいろいろとあったけど、でも、大切に育ててもらったことは間違いない。その想いは、三十年以上たって判明した衝撃の真実によって、さらに揺るぎないものとなった。親の愛情とは、ここまで深いものなのか。
母よ、ありがとう。
でも、どう贔屓目に見ても、かわいさは普通だったと思うよ。
でも、本当の理由をあなたから直接聞くことができて、よかった。
父や母が元気なうちに聞いておかなくちゃいけないことが、まだまだたくさん、あるのかもしれない。
私は、間に合うだろうか。
酌み交わすビールが少しほろ苦く感じる、そんな夏の、家族の夜だった。