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タイタニックだけが、帰ってきた。

「タイタニック再上映!」
そのニュースは、私の感情を大きく揺さぶった。

一緒に観た人のこと、待ち合わせた場所、街の賑わい、着ていたワンピースの柄。
25年前の思い出があふれるように押し寄せてくる。
あの頃の自分が、私は、今もとても好きだ。

映画「タイタニック」が、公開25周年を記念してリバイバル上映されている。
大ヒットした当時は私も見事にはまり、四回も観に行った。

一回目は、学校帰りに友人と。
恋愛経験なんてほとんどない私たちは、これでもかとドラマチックに描かれるラブストーリーに打ちのめされ、素直に感動した。

その感動を共有したくて、仲良くなりかけていた男の子を誘ったのが二回目。
すでに結末を知っている私は、セピア色のオープニングからすでに泣き出してしまい、隣に座る彼を動揺させた。かなりロックなファッションをしていたその彼も、途中で何度か鼻をすすっていた。

三回目はその彼と、彼の友達と一緒に。
実は観てみたかったという地元の仲間数人を、彼が連れてきた。彼が私をどう紹介したかは忘れてしまったが、その日私はとても丁寧に扱われ、気分がよかったのを覚えている。この日も、私はオープニングから号泣していた。

四回目は、一回目と同じ友人と行った。
卒業後は地元で就職が決まっていた彼女は、残り少ない東京生活を胸に刻むように過ごしていて、上映期間が終わる前にもう一度一緒に行きたいと私を誘ってくれた。二人でオープニングから泣いて、プリクラを撮って、ロッテリアで「十年後にまた一緒に観よう」と話した。

いま振り返ってみると、当時の私はとてもたくさんのものを手にしていたように思う。好きな分野の勉強にはげみ、友達に恵まれ、就職も無事に決まり、あらゆることが順調だった。そんな、若さゆえの万能感と未来への希望に満ちていた毎日と併走するように、タイタニックは大ヒットし、社会現象にまでなった。
そして私は四回も劇場に足を運び、そのたびにはらはらと泣いた。

どうしてあんなに、夢中になったのだろう。
もちろんエンタメとしての完成度は高かったし、迫力ある映像や王道ど真ん中のラブストーリーもとても良くできていたが、私がどはまりした理由は、それだけではなかったような気がする。

一緒に観たいと思う人がいて、観に行ける時間とお小遣いがあって、好きなものに夢中になれる強さと素直さがあって。
自分の日常が充実していることを、私はタイタニックを通して実感できていたのだと思う。観るたびに自分を肯定することができて、「今」を楽しめている自分に自信を持つことができた。そして、いつか自分にも訪れるであろう運命の出会いに憧れ、幸せな未来に想いを馳せていた。
タイタニックを好きな自分が、とても好きだった。
若くキラキラしていた自分を、私はタイタニックとともに記憶に残したのだ。


何度も繰り返し聴いたサントラCDは、誰かに貸して戻ってこないままになった。
二巻セットで買ったビデオも、もう再生できないからとだいぶ前に処分してしまった。
あのロックな彼はどうしているかな。
十年後にと約束した友人はその後留学したと聞いたけれど、今は連絡をとっていない。
そして私は、映画のようにドラマチックな人生とはほど遠い、でもそれなりに上々と思える日々を送っている。

CDもビデオも、若さも夢も、いろいろなものを手放してきた25年。
タイタニックだけが何も変わらず、当時のままで私の前に戻ってきた。
ひさしぶりの再会は私の心と記憶を揺さぶり、自分が輝いていた遠い日のことを思い出させてくれた。

あの頃のキラキラには、今はとてもかなわない。
肌のハリや胸の高さが全然違うし、大切な人の電話番号は余裕で暗記できていたし、とにかく毎日が濃くて新しくて、生きているエネルギーに充ち満ちていた。

でも、それを懐かしく思い返せる今も、またひとつの幸せなのかもしれない。
とりあえず今日もビールが美味しいのだから、これはこれで、なかなか上出来なのではないか。そんな気がする。
25年前の私には、きっとわからない感情だろうけど。


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