性徴を喜ばれないということ(愛着障害について④)

①~③はこちら。

両親は「成長」は喜んでくれたが、「性徴」は喜ばなかったように思う。
私は発育がよく、背もぐんぐん伸びた。
高学年になってブラジャーが欲しいと母に勇気を出して伝えた時もあまり芳しくない反応だった。
性欲も性的好奇心もつよい子どもだった。
母はそれを気持ち悪がっていた。(少なくとも私にはそう思えた)

気持ち悪いのは仕方がないと思う。愛くるしいと思って飼ったペットが発情期を迎えて、以前のようには愛でられなくなるのは私にも分かる。もっと小さいときには天真爛漫でかわいいと言ってもらえていたのに。私は「キャラ」を外れてしまった。

③で書いたように、私は寂しさからだれかれ構わず引き寄せてしまうあまりよくないタイプの色気のある子どもであったこと、性欲が育っていくことを自分でも人から見たら気持ち悪いなと感じていた。
だけどそうなったのは私のせいじゃない。
そういう複雑な状況を理解できる親ではなかったし、またそこまでの関心もなかったと思う。

世代的なものもあって、結婚するまでは絶対にセックスはしないものだ、と両親とも信じていた。
自分的には、ろくに構いもしない人たちに私の行動を制限する権利はない、と思っていた。
自然な性的発達を否定されて育った子どもは性非行に走りやすいのだという。それはとてもよく分かる。

まるごと愛するのは難しくても、理解はしてほしかった。


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