良かれと思って敷かれたレールの上で(愛着障害について⑥)
①~⑤はこちら。
愛着障害シリーズはこれでラスト。
両親は教員だったのもあり、学歴を重視した。
また、時代的にも、何浪もして東大に入るような人もいるような感じで、社会全体が学歴重視に傾いていた。
そんな親と祖母(教育ババと言われていた)は、子どもたちを名のある大学に進学させようとレールを敷いた。
私は小さいころから歌手になりたかったが、そういった夢の話は、子どもの一時的な世迷言のように笑って流されていた。
先日母が、「そういえばあなたって学生時代に何かに夢中になったものってあったっけ?」と聞いた。
もう70代だから本当にうっかり忘れていただけなのだろうけれど、高校も大学も軽音楽に夢中で打ち込み、自分の部屋にアンプとギターとベースとリズムマシンとマイク、マイクスタンド、MTRを置いて、夏に汗だくになって宅録していた私のことを、そんなにも覚えていないものか、とがっくり来た。
仮にうちの両親が、私が本気で歌手になりたいらしいと理解していたとして、彼らにできることはあっただろうか。
なかったと思う。
芸能関係の知り合いなどいないし、当時はボイトレスクールすらなかった。
だけれど、何もできないことと、子どもの夢を本気にしないことは別の問題だと思う。
私がものすごくお金のかかる夢を持っていたとする。
その夢を理解した上で、「うちにはお金がないから済まないけれど応援できない」と言われるのと、夢自体を本気にしないこととは雲泥の差だと思う。
思えば、私の両親は「子どもに選ばせる」ということをほとんどしてこなかった。親の方が大人なのだから、正しい選択ができるのだから、子どもは言うことを聞いていれば幸せになれるのだ、という考えが強かった。
後にアドラー心理学を知ったとき、「こういう風に育ててほしかった」と心から思った。
「勉強できて損はない」これは真実だけれど、勉強に充てる時間を他のことに充てられないことによって損失する機会もあると思う。
勉強というのは一つのスキルに過ぎない。
世の中には勉強ができなくても自分に合った仕事で幸せになっている人が大勢いるのに、私の周りにはそういうサンプルもいなくて、「勉強できない=人生詰み」くらいに本気で思い込まされていた。
親にできることは、出来る限りの選択肢を用意し、子どもに選ばせてあげることだと思う。決して、代わりに選んであげることではない。
そして、私が歌手になりたかったのは、親の関心が得られないことからくる孤独を、「みんなの人気者」になることで埋められると期待したからだった。(今は「みんなの人気者」になっても孤独は癒されないと理解している)
だから、歌手になりたいという夢が理解されなかったのは、孤独を理解されないのと同じことだった。
エスパーじゃないのだから分かるわけないのだが、傷ついてしまったのだから仕方ない。