女は損だと骨身にしみてしまった小学生(愛着障害について②)
幼児の頃に、手がかからない子として構ってもらえなかった話は前の記事で書いたとおり。
他にも辛い思い出はある。
同居していた母方の祖母(九州出身)は、私にばかり家事を手伝わせた。
3つ年上の兄がいたが、「男の人は外で働くから」と、兄にはやらせなかった。
私は学校から帰ると、祖母に言われた家事をこなさないといけない。掃除、洗濯、お使い、炊事、etc..
それがすべて終わらないと遊びに行けない。
最初にいくつタスクがあるのかは知らされていなかった。一つ終わって「これで遊びにいける?」と期待すると、「じゃあ次はこれ」と命じられる。
だから、下校時に友達に「今日は遊べる?」と聞かれても「わかんない」としか答えられなかった。「いつもそれだね笑」と友達は言った。だって、本当にわからないのだ。
祖母は教育者でもあったので、勉強も厳しくやらされた。
女子は勉強したくても進学させてもらえない家庭もまだ地方にはあると聞くから、それよりはマシだったと思う。地獄と地獄を比較しても何にもならないが。
随分大きくなってからだ。
台所のシンクに誰かが油を流したのを、母が私がやったと思い込んで「油を流したらダメなのよ」と言った。
やったのは兄だと思う。きょうだいで家事スキルに差があることを母は知らなかったのだ。
おそらく、私だけが祖母に家事をやらされていたことにも気づいていなかったと思う。
無関心は愛の反対だ、と私は今でも思っている。
いくら「愛していたのに」と言われても、無関心だったら嘘だと思う。
もし、私だけが祖母に家事をやらされていたことに母が気づいていたらどうだったのかと想像する。
おそらく母も子どもの頃、実家で母と母の姉だけ家事をやらされ、男の兄弟はやらされていなかったのではないか。母は我慢強く、利他的な人だったので、それを普通に受け入れていたのではないか。
だから、自分の娘が同じ目に遭っていても、それをかわいそうとは思わなかったかもしれない。私が自ら、それを嫌だ、理不尽だと訴えたら聞いてくれたとは思う。
親というのは子どものロールモデルになってしまう。我慢強さは美徳とされるが、親が我慢強すぎると、子どもに「理想の大人とはかくあるべし」と刷り込んでしまう。
そこに悪意はなく、利他や奉仕の精神があるだけなのだが、結果的には「我慢しすぎる子ども」を再生産し、その子の幸せを阻む。
祖母もまた我慢強く、誰よりも働き者であったので、孫が祖母の手伝いをすること自体は当然と思えた。ただし兄や他の家族も平等に手伝うのであれば、の話だ。
我慢強くて立派な人には、不平不満を言えない。
家族6人分の洗濯物を畳みながら、家族6人分の食器を洗いながら、私は一人暮らしできる日を夢見た。
どうやら今の時代でも、結婚すると共働きでも、「女だから」と家事や育児の大半を負担することになるらしいと知っていた。結婚願望はなかった。
いわゆる適齢期になって、親や兄が「結婚しないのか」と聞いてくるようになった。
あんな育ち方をして結婚願望など持てるわけがない。説明しないと分かってもらえないことにもうんざりして、ただスルーしつづけた。