競争恐怖症
今朝、「便利なツールが普及しても仕事が減らない理由は、競争にあるのでは?」とふと思いついた。
便利なツールを他社も導入したら、別のことで頑張らないと競争に負けてしまう。兵器も同じだ。どんなに強力な兵器が発明されても、平和にならないのは、他国もそれを導入するからだ。競争は終わらない。
私は競争が嫌いだ。そういえばこんな記事を書いたな、と読み返してみたら4年も前の記事だったのでびっくりした。
(余談だけれどここに登場する「ブラック・ミラー」の「1500万メリット」は示唆に富んだ名作なので必見)
人間はなぜ競争してしまうのだろうか。
その謎を知るため、調査隊はアマゾンの奥地へ向かった。ではなく、生物学の論文をググって見つけて読んだ。
『生態学・進化生物学における競争について』
目からウロコが落ちまくった。
「競争とは、資源の取り合いである」という前半部分。植物も動物も競争する。
同じ餌を常食する他の種とは競争が生まれるが、餌が被らなければ競争の必要もない。むしろ、同じ餌を取り合って同じ種の別の個体と競争する。
餌を取り合うなら離れて暮らせばいいかというと、そうでもない。もちろん、他の個体と協力することのメリットがあるからだ。
人間もそのために密集して住んでいる。
災害が起こるとトイレットペーパーの買い占めが起こる。あれこそまさに「資源の取り合い」だ。生物としては自然な行動と言える。
私が「競争は醜い、競争なんてしたくない」と言っていられるのは、手元に資源を保有していて、困っていないからだ。
それでもやっぱり、競争は嫌だ。
「生物として自然な行動」と「人を人たらしめる行動」はまったく逆のベクトルだからだ。人間として生まれたからには、人間らしく生きたいと思う。
競争を避けるには、資源をうまくシェアすることが必要なのだと思う。
それに失敗したら競争は避けられない。ガツガツしてる人って嫌ね、などと言っていても始まらない。
ところで生物学の論文にたどり着く前に、「競争」についての本をググったが、「競争社会で生き抜くためには」みたいな本しかヒットしなかった。
競争社会を不動の前提として、そこに何も考えず巻き込まれるのは問題だと思う。みんなが何も考えずに競争に向かうと、さらに競争が激化し、「共生」からは遠ざかっていく気がする。
デスゲームの主催者を喜ばせるのは癪だしな。
競争についてはまだまだ考えたいので、つづきを書くと思う。