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ちょうど一年前気分がとりあえず落ちててスピりかけてたのが面白かったのでプロセスを覚えてるうちに残しておきます。現状、時間ができたことで自分を見つめて気分が落ち込んでる人とかいたら読んでみてください。
そもそもなんで病んでたのかは、今から考えると時間ができるようになって自分について潜りすぎていたからじゃ無いかなと思っています。生理前よく孤独とかジェンダーとか身体と自分の間とか考えちゃうこと、それをぶっ続けで3ヶ月永遠にやってました。私の場合は、病んでるといっても希死念慮は無く、ただ体調が全部悪くて外に出れなかった感じでした。
最初はアダルトチルドレンという側面から自分を見てたけど、これはもう気付いた時からかなり長い付き合いなので省きます。その他にも意外にも完璧主義だったこととか、この時自分について色々客観的に見れるようになりました。結論、自分をずっと客観的に見たり、自分の悩みに色んな名前をつけて判断してたりしていたせいなのか因果関係は分からないんですけど、実感を伴って自分が所有している身体と自我が結びつかなくなった感じがしたんですよね。
ここからは、ジェンダーとか人種とかルッキズムをはじめとした、持ってる肉体に起因して外部から断定されるようなことが本当に全部嫌になりました。(それまでは、勿論嫌だったけど少し遠くに感じていたところがありました。)
あと言語って肉体と一緒で自我を世界から切り取っていく感覚があるじゃないですか。その中で身体と自我を繋げる、後天的な要素である言語に対しても不足を感じてました。これは私が上手く言語化ができず、言語を通して考えることに限界を感じたということです。愚かな肉体は自分のしょうもない自我に死ぬまでついてくるんだなという絶望を感じていました。毎日絶望を感じながら、ストレスを感じて死んでる胃に漢方を与えて肉体を栽培してました。もっと色々要因はあったんですけどまとめるとこんな感じで、気付いたら全然大学行けてませんでした。
でも3年生の課題の単位落とすと4年生って大変じゃないですか。今までつらつらと書いた通り、上手くこなせるタイプの人間ではないので、追い込みでがんばりました。1単位演習課題落としたけどね!それは普通に最悪!
現状回復したと思うんですけど、とりあえず外に出られるようになった理由に、クィアアイとルポールのドラァグレースを視聴したことは挙げられます。自分の中で自分を苦しめてる無意識の価値観が視聴する中で浮かびあがってきて、しょうもな!って一蹴してくれたんですね…Netflixは偉大です。後はついつい自分について考える時間を頑張って減らしました。あと一回立ち直っても生理で一気に落ち込んでまた引き篭ることもあるので、生理前の病む時はJUDY AND MARYとか川本真琴とかcharaを聴きながら、考える隙を与えないように自分の側に寄り添ってくれるタイプの好きな小説(私の場合はブコウスキーとかミランダジュライ)を読みました。自分の専攻してる分野のインプットとかファクトとか読むと、勉強してない愚かな自分に気が向いて病むことがあるので…
今でも長く付き合ってきた価値観とか性格を捨てられず、逃げなんじゃないかとか思って悩むこともあるんですけど、そこら辺はバランスをうまくとってこれから頑張っていこうと思っています。