自己紹介エッセイ
こんにちは。numaです。
今回は、僕が創作活動をする中で経験したことや感じたことなどを、
エッセイ風に書いてみました。
そういえばしっかり自己紹介したことがないので、
自己紹介がわりのエッセイです。
お時間ある方はご一読ください。
「創作」
私の人生を決定づけたのは幼少期の教育方針であろう。私にとって人生で初めての教科書は絵本だった。両親は大量の絵本を買ってきて毎日のようにそれを私に読み聞かせた。「感情豊かな人間に育って欲しい」、「語彙力を身につけて欲しい」、「本好きに育って欲しい」、両親の絵本教育にはそんな期待が込められていたのであろう。
1歳を迎える頃には、私は両親の期待通り、絵本好きの幼児に成長していた。お気に入りの絵本なんかも出てきて、私にとってそれは「七匹の子やぎ」だったわけだが、1歳児にして全て暗唱できるようになるほど、何度も繰り返し読み聞かせてもらっていた。
いつしか私は、「こんな話の絵本が読みたい」と思うようになってきた。しかし自分の御眼鏡にかなう絵本はそう簡単には見つからず、ついに私は自分で絵本を書くという道を歩むようになったのである。これが3歳の時の話だ。
絵本を書いて、それを両親に読んでもらう。両親が絵本の読み聞かせを始めてから3年。ついに私は読み聞かせの立場を逆転するという革命を起こしたのであった。
その後私は、紙芝居や漫画に形を変え、様々な物語を書き続けた。自分で物語を考えるのだから、もちろん想像力は鍛えられるし、語彙力も人より身についたかもしれない。しかし物語を創作するという趣味は、必ずしも良い影響だけを私に及ぼしたわけではなかった。妄想の世界にふけっていた私は、現実の世界に面白さを見出すことが出来なくなってしまったのだ。
象徴的な出来事は私が小学1年生の時に起きた。私は夏休みの宿題で「羽のないとんぼ」というタイトルの作文を書き、それが市の推薦に選出されるという経験をした。先生はとても褒めてくれたし、両親も喜んでくれた。しかしこの作文、実は書かれた内容は真っ赤な嘘だったのである。私は羽のないとんぼなど見たこともない。羽のないとんぼとの出会い、そして自分がそのとんぼを見て感じた切なさや悲しさ、恐怖などを全て想像で書き切ったのだ。
推薦に選出されてからの1ヶ月間は地獄だった。嘘をついた罪悪感と、いつかバレるのではないかという恐怖で夜も眠れない日々が続いた。結局それに耐えられなくなった私は、ある夜、母に号泣しながら嘘だったと打ち明けた。大泣きする私に、母は優しい言葉をかけてくれた。
「これ自分で考えたの? 天才だよ」
この言葉で私は「嘘が褒められた」という衝撃体験をした。嘘でも面白ければいいんだ。この感覚はさらに、私を現実世界から引き離し、物語の世界にのめり込ませた。
中学生になると私はブログを使って小説を書き始めた。コメディやサスペンス、実体験0の恋愛小説など様々なジャンルを書き連ねた。毎日学校以外の時間はほぼ全てをブログに費やし、ついに3年間で計600投稿を超えるという快挙を達成した。
そんな私のブログ家生命も、高校生になった途端、急速に熱を失い、全く更新しないようになってしまった。背景には、思春期から来る、友人に創作物を通して自分の内面、考えを見せることの恥ずかしさがあったのだろうと推察できる。
しかし、この世界に600投稿も存在する私のブログは、私が黙っていても姿を隠し続けられるわけもなく、高校2年生の夏、ついに友人に存在を暴かれてしまった。そこから私は黒歴史を抱えた痛いヤツ、ということで面白キャラ、改めいじられキャラ、改めいじめられっ子?という感じでとにかくちょっかいをかけられるようになった。色んな無茶振りを受けた私だが、特に辛かったのが「面白い話して」、このフリである。
思い出して欲しいのだが、私はリアルに面白さを見出せなくなった人間である。「面白い話して」というフリに対し、創作の話をしたところで絶対に求められているものとは違う。ここで言う「面白い話」とは「本当にあった面白い話」という意味であろう。
当然、現実世界に面白いものを探そうとしてこなかった私は、このフリにうまく答えられるはずもなかった。毎回、何を話しても変な空気になる。私にとってそれは恥ずかしさと情けなさが混在する、史上最悪の状況だった。
これを機に、私は無理やりにでも現実世界で面白いものを探すようになった。とにかく色んな事物に目を光らせ、何が何でも面白い話を探そうと必死に努めた。毎日毎日、そんな生活を繰り返していると、案外、現実世界にも面白い話が転がっていることに気づいた。そう言えば、自分はだいぶ変な失恋を経験していたぞ、とか、事実は小説よりも奇であるかのような話を見つけられるようになってきたのである。
2021年。大学3年生になった私は、リアルの世界と創作の世界、両方を行き来しながら、今日を過ごす。絵本から始まった私の創作の世界は、今でも私の頭の中に存在している。なんだか小さい頃に比べて、随分と不純物が混ざって汚れたように感じる創作の世界であるが、やっぱり私にとっては安らぎの世界であり、最近見つけたリアルの世界も良いけれど、創作の世界が無くなったらきっと生きていけないだろうな、と思うくらいに大切で、温かく、大好きだ。
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