過去の自分の承認欲求との訣別
こんにちは、Sonnyです。
今回は、自分が好きだと思って取り組んできた趣味が実は承認欲求を充足させることから始まっていることに気がつき、そこから脱却したという話です。自分が30代中盤にもなり、自分の人生を少し振り返ってみると、今まで見えていなかったことが見えてきたので、この場を借りて言語化しておきます。
♦︎小学校3年生から始めた野球
ぼくは小学校3年生から野球少年団に入団し、そこから30代までずっと野球をしてきました。甲子園に行ったりすることができていませんが、それなりに周囲のチームの中では知られており、地域の選抜に選ばれることもあるくらいの選手でしたね。
それなりに周囲からも評価され、自分がやりたいようにはプレーできていたので、とても楽しくやってきました。だから、小学校から高校まで野球部としてやってこれたし、高校を卒業してから30代になるまでも草野球で朝5時から全力疾走していました。
そんな大好きな野球に自分が自覚する大きな弱点がありました。それがエラーに対する過剰な恐れです。エラーは守備の時にミスをすることですが、このエラーをするということがすごく怖かった。バッティングで三振をしたり凡退することには悔しいという思いはあれど、恐怖自体はなかったんです。この過剰な恐怖が今回の承認欲求と繋がってくることになります。
♦︎10代の自分が唯一持っていた自己表現できる場所
エラーに対する恐怖があるとはいえ、野球が大好きでそれなりに自分の実力に自負もあったので、特に学生時代などは周囲に対して自己主張をするタイプではなかったにも関わらず、野球をしている時には大きな声も出るし、感情豊かに走り回っていました。
当時も、野球をしている時も自分が解放されている感じを自覚しており、それを周囲も認識して認めてくれているから、野球が自己表現できる場所という感覚も確固たるものになっていったと思います。
そんなんで20代後半から30歳くらいまで朝野球を継続してきても、エラーに対する恐怖心みたいなものは変わらないという、奥歯にものがつっかえるようなもやっとした感情は残ったままでした。
♦︎承認欲求と呪縛
30歳になってから子どもが産まれ大きく環境が変わったことで、野球から少し離れました。そして、子どもの誕生をきっかけに自分自身の人生に対する意識が大きく変わり、もっと学ばなければならないと、Voicyを聴いたり本業とは路線の違う社会的な活動をコミュニティに所属して行なったりと生活のパターンを大きく変えました。
そんな中で自分を人生を振り返り、「そういえば、自分はなんで野球が好きだったんだろう」と考えることがありました。諸々考えて、導いた答えは、「みんながうまいと言ってくれるから」でした。
自分の中では「楽しいから」という内発的な動機でやっていたと思っていたことが、実はその「楽しい」が他人からの評価を軸としたものだったことに気がついたのです。それからは、「そりゃ、エラーに怯えるワケだよ」と妙に納得もしました。エラーすれば守備に定評にある自分の評価に傷が付くと無意識的に思っていたのでしょう。
他人の評価で自分の行動を決めることは、ある意味で呪縛のような行動規制を生みます。ぼく自身は気がつくのにかなり時間がかかりました。しかし、本業的には周りがやっていないことに取り組み、自分が信じた道を進むことができています。この道のりは大変な部分もありますが、あまり恐怖感はない。
やはり、内発的な動機からの行動がとても重要であることを(あまりに当然なことだけど)実感した、というお話です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。それではまた。