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”当たり前”を疑い、自分を信じる

こんにちは、Sonnyです。

今回は、自分がいかに本業と向き合ってきたのかを言語化しておきます。自分の本業は理学療法士というリハビリの仕事。つまりは医療業界なのですが、この業界もこれまでの当たり前を疑うことなく踏襲するきらいがあります。

昨今は、EBM(Evidence Based Medicine)といって、根拠に基づいた医療を提供することが重要視されています。エビデンスが重要であることは疑いようのない事実です。しかし、あまりにエビデンスに偏りすぎる昨今の風潮に疑問を感じることが多いんです。

自分の信念や今後のキャリアも想定した上で、自分のポジションをしっかり確立するためにも、一度、文章に起こすことでリマインドしつつ、頭を整理していきたいと思います。

♦︎医者と理学療法士の違いを明確にする必要がある

理学療法士は、健康保険制度の中で仕事する場合、”医師の指示”を元に仕事をしなくてはいけません。これは理学療法士法に書かれた絶対的なものです。ですから、法律的にも業務的にも医師の診療の補助的な側面が強いです。

どんな職場で勤務するかにもよりますが、そんな側面が強いからこそ医師と意見交換できるようにしっかりとした知識武装をする必要があります。

ただ、理学療法を実施する上で、医師的に必要な知識とリハビリ的に必要な知識は違います。この当たり前に思える事実が意外と現場では蔑ろにされている感があると感じるんですね。

♦︎エビデンスと向き合うのではなく、身体と向き合う

理学療法士が必要なのは、いかに人間の身体と向き合うかどうかだと感じています。人間の身体は思っているよりも高度な制御がされています。関節の構造がどうだとか、筋肉の構造やどうだとかは重要ではありますが、それぞれ分解された構造を知っていても対応できないことがものすごくたくさんあります。

肩が痛いという患者さんのリハビリをするとき、腕を持ち方や持つ位置で反応や動き方がかなり変わりますし、理学療法士の手首の角度が変わるだけでも得られる感覚は変化することは、エビデンスなどで測ることはできません。

このような対応方法は、熟練するまでのかなりの時間を要すると感じます。そして、感覚的な認知ですから人に聞いてもその捉え方は千差万別であり、言葉すること自体でバイアスがかかるためそのまま取り入れていいかの判断が必要です。そもそも、ほとんどの理学療法士はエビデンスとこれまでの手法を踏襲するため、自分の感覚を重要視するような人がほぼいない。それは身近に相談する相手がいないことを意味します。

過去に、参考にする理学療法士のセミナーに参加してインプットしてきたことがありました。そこで得たことは多くの示唆がありましたが、一つの結論として得たのは、「自分で考え、感じて、作り上げるしかない」ということです。

これまでの手法をずっと踏襲することは、日々の介入を効率化し、システム化できるので良い面もないことはないですが、これをずっと続けていても理学療法士としての成長も差別化もキャリアアップもありません。

大変なことではあります。だけど、この追求が個人的にはとても面白い。そしてこれを追求していくことで介入する患者さんにも良い結果も出る。周りのスタッフにもあまり理解されないことですが、自分の信じたこの道を信じで突き詰めていたいと思います。

♦︎自然科学の考え方を参考にする

自分の思考を進めていく上で参考にしているのが、自然科学の考え方です。自然科学では、「わかる」の基準が明確で、実験で観察ができて計算ができるのであれば、それは「わかった」ことになります。ある現象があったときに、なぜそうなのか、なぜAはAなのかという疑問に対して、AはBだからですとなったとします。では、なぜBはBなのですか?という疑問に対して、BはCだかです、となりました。いった具合に、これはある種エンドレスに続くことになります。自然科学はこの問答を放棄しているのです。

「だって実験で観察ができて計算ができるんだったら、それはもうわかったことになるでしょ」というスタンスです。

このスタンスは、個人的には重要だと思っています。理学療法業界の話に戻すと、ある介入を実施して著効した場合に、その介入におけるエビデンスはなんだという議論になることがありますが、これはある種不毛で、もし著効した介入があったのであれは、それは次に対応した患者さんにも効果的に使えるのか、それに再現性があるのか、などを議論した方が建設的だと感じます。

もし、エビデンスだけで完結するのであれば理学療法士は必要ありません。これからも自分を他者と差別化できるように、周りがあまり重要視していないことを突き詰めて形にしていけるように精進していく所存です。



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