揉め事の起こし方 退職 研修医④ 復職、頑張ってみたつもり
ウォーキング中の綺麗な空。
復職できた
6月から病院に復帰。当直なしの勤務となった。
最初は休み休みだが、徐々に日勤できるようになってきた。
たくさん運動して体力を戻した。1日何万歩もウォーキングしたり。
僕を休職に追い込んだ指導医のことは、正直嫌いだった。
その怒りすらも、復活のために利用した。
「あんな高圧的な上司とは違う、腰の低い医者に、僕はなる」と。
勉強会、一人回診、上級医と回診。外来研修に参加して、昼からは救急外来。。
特にコロナワクチン問診は、みんなは嫌がっていたが、僕は一人の医者として貢献できる機会だと張り切っていた。
これを通して、外来のスタッフさんたちとも大分打ち解けることができた。
外来研修は特に張り切って、毎日自主的に頑張ったつもりだった。
症例登録したのも、半分は外来症例だった。
専攻医の先生方はとても優しく、いろいろ教えてくれる先生、信頼して患者説明なども任せてくれた先生。ご自身も病んだ経験があり、親身になってくださった先生。
本当にみんな好きで、できれば辞めたくなかった。。
違和感もあった
午後から、まったく指導医が相手してくれないので、救急の方に自主的に行ってたんですが、これ干されてたのかな?
指導医からしたら、救急は総合内科の研修ではないということで、評価してくれなかったようだが。
もしくは、僕がアスペルガーだから、すべきことが理解できなかったのかもしれない。(自分から、手技をやらせてくださいと頼んだりとか?)
自分では精一杯だが、足りないというのはやはりアスペなんだろう。
元々ハイポ病院で、先輩方も暇な時は気ままに過ごされていたのだが、
僕だけは休憩しているだけで事務員氏から怒られた。
あれはなんでだったんだろう、いつのまにか事務員氏から嫌われていた。
新しい病院の救急や外科で経験したことに比べたら、前の病院では10%ぐらいしか学べていなかったよな、と思う。
僕のやる気が足りなかったのか、適応障害のせいなのか、病院が緩かったからか、、やっぱり干されていたのかなあ。
腫れ物に触るような扱い、ってやつなのかなあ。
6月から8月までの3ヶ月間、なんとか頑張ったつもりだった。