今日の内言
古本コーナーで『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う』という本を見つけた。中身は見ていないが背表紙のあらすじか帯だったかに「試着室で可愛い服を着た時誰の顔が思い浮かんだ人がきっと好きな人」みたいな文言が書いてあった。些細な一文だがとても胸に刺さった。
そうだ。恋をしている時に服を選んでいると「この服、あの人に可愛く見てもらえるだろうか」と恋する相手が出てくる。当たり前すぎて見えていなかったけれど、こんなに素敵で些細な恋の喜びがあるのだと思い出す事ができた。
「誰ひとり君の代わりはいないけど上位互換が出回っている」
アルバイト中に宇野なづき氏のこの短歌が頭に浮かんだ。リアルでの人付き合いでもSNSでの交流でも、これを実感する機会は実に多い。
あの人と比べて私はこれすらもない。私は社会における下位互換であると落ち込んでしまうこともある。しかし、自分より上の頂点が存在するように、私(底辺)も誰かにとっての頂点なのかもしれないとふと思った。
風呂に入っていた時、佐野徹夜氏の「作家を本気で志していた時、仕事も辞め収入を断ち、それでもデビューができず食にもありつけず死ぬ一歩手前でデビューできた」という話を思い出した。
記憶が曖昧なため上記が全て正しいかは私も疑問が残るが、それでも命を投げ打ってまで本気で取り組もうと思ったことは私の人生であっただろうか。そんなことすらできない意気地無しの私は大成できないのかもしれない。
「project セカイ」の東雲彰人も「プロ目指してるやつは寝る間も惜しんで一筋にその物事に取り組んでる」というようなことを言っていた(こちらもうろ覚え)。
神の視線はいつだって、人生の全てを賭けられる人にしか降り注がないのだ。