(こころ記録)映画の原体験ばなし〜タルコフスキーにラヴ・レター〜
こんばんはぁ、元気ですかぁ。
潤子だよォ。ドンパフドンパフ。
だいぶ暖かくなってきましたがまだまだ油断は禁物。
急に冷え込んだりする日和だよ。
アンドレイ・タルコフスキーの
映画「ストーカー」をみかえしました。
彼はロシアの有名な監督さんなんですがけっこう思い出深い方だったりします。
彼と仲がよかったと言われる黒澤明監督の作品は一度観てもうたくさん、てなっちゃったんですけど
タルコフスキーは何故か折に触れて観てますね。何故だろうか。
黒澤明監督が感性に合わぬ、とか好きじゃないとかでは無いんですよ。
たぶん、何度もみれるのはあたしを映画好きにする原体験だったからだと思います。
それもこれも、父親がタルコフスキーの大ファンだったせい。幼少期によく娘に見せてきたのを覚えてます。
まだ小さかったので
オジサン3人がなにやら不穏そうな顔でボソボソ喋っているだけのカットが続く映画は退屈な第一印象でした。
ファンの方々、すみません。
ですが、2度目以降観てみるとなにか揺すぶられるなにかがある。
「人間とはなにか」、とか「信心」とか、宗教的なテーマが入りまじるような印象を受けました。
タルコフスキー作品はざらっと観ていたんですが、1番好きなのは最終的にこの「ストーカー」になりました。
YouTubeでデジタルリマスター版がフルで公開されていてビックリだよ。
一人タルコフスキー映画祭を開催せざるをえなりかずき。
とりあえず、「ストーカー」のほかには
「ノスタルジア」「サクリファイス」「ソラリス」「ローラーとバイオリン」
を観た。
美しい絶望の波、燃える家、幻想に映される自己、鏡の少年期。
夜半の6畳1間に、しみじみと涙が落ちていたよ。いい体験だったなあ。
とかいってさ。へへへ。
いい映画をみるとさ、人って詩人になるよね。
知らぬ国で、自分にとって大事なものを探して迷子になってしまった。路地を何もわからずに歩いていくと知らん公園にそれが落ちてたのを見つけた、って感じの再会です。
ながいわ、例えが。
で、いちばんこの映画のすきなのはやっぱりこう、水面。水面が美しい。今みてみると、監督は「水そのもの」ではなくて水面の鏡としての反射を捉えたかったのではないかななんておもいます。親父の受け売り。
何かしらのモチーフ、「鏡」や「無意識」とかはタルコフスキー節が炸裂してるんですが、ストーリーは高尚な感じで、結構アングラな印象を受けました。
でもね。素朴で美しいね。
この「素朴さ」が、飾らない美学としてインプットされたよ。ロシアの文化ならではの素朴さってあるよね。
いまはそうでもないけど、伝統的なロシアの文化はそう思うよ。
文化は時代の鏡だからこそ、昔の映画が好きなのかもね。レトロカルチャーに惹かれ続けてやまないよ。
そんなこんなでおあとがよろしいようで。
今日はここまで。じゃあね。
映画って本当にいいもんですね。
さよなら、さよなら、さよなら𓀠𓀠𓀠
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