【ソシオニクス】機能の次元の質問と個人的な解答例 Te・Ti編
Te
1:
●あなたにとって、仕事とは何ですか?
現状の生活を守るためにしなければならないもの。あるいは、より良い未来を創造するための手段。
例えば、土木業の人が橋を建設するという仕事をすることで街の人たちの生活をより便利で豊かにできるし、見た目がいい橋ならば観光資源になりその土地が他の地域の人にも愛される場所になる。また、街の人たちの生活を便利にする仕事をしたことで地方公共団体などから金銭を授受することで、愛する家族を養ったり、美味しい食事を摂ったり、旅行に出かけたりすることができる。
このようにみんなが働くことで、お互いの生活を豊かにしあうことができる。お金を介しているけれども、本当は働くということの価値は人がお互いに助け合うことで絆を感じ、同じ世界に住む人と共に暮らしていくことなのではないかとも思う。お金のような個人の備蓄が可能なものというのは、人間の果てしない欲望を掻き立てることでその労働の喜びを隠してしまうものではないかと思う。
でも、貨幣を抜きにして生活を成り立たせることはできないから、人の暮らしを豊かにする喜びを度外視して食べていくため、そして老いた時に備えるために仕方なくでも働くしかない。私にとって労働というのはそういうものだ。
●なぜ人は仕事をする必要があると思いますか?
生きていくために必要なことを一人でするのは大変だから。
例えば、人が今よりかなり原始的な暮らしをしているとする。食事をするには槍を持って動物を狩ったり、野草や木の実を採集する必要がある。火を起こしたり、寝床を用意する必要もあるし、服だって作らなければならない。全ての技術に熟達した人間になるには時間がかかりすぎるし、移動時間などを考えると手間がかかりすぎる。このように分業をするということが社会における仕事の価値だと思う。
現代ではこれらの生命を維持するための基本的な仕事をある程度外注できるようになったため、その余力で娯楽や便利さを追求できるようになったけれど、生活をしていく中で必要な気晴らしや、労働により時間を多く費やすための時間短縮に必要なものを外注しているという点で、仕事の必要性は原始的なヒトの生活と変わらないように思う。
毎日同じように働いて生きるということを繰り返すためだけに働いているというのは虚しい話に感じるが、しかし仕事というのはそういうものだと私は思う。
●自分が特定の仕事をこなせるかどうかを、どうやって判断していますか?
まず、依頼者が求めているニーズを詳細に至るまで把握する。例えば仕事の意図、求めるクオリティ、締め切りなど。
そして、その仕事を時間内にこなす技術が自分に確かにありそうかを考える。自分にはまだ不十分だとして、誰かに教えてもらっても締め切りまでには到底できないものであればそれは断念せざるを得ない。教えて貰えることができれば締め切りまでにできそうならば、仕事のやり方の指導者がいて時間的に余力があるかを確認する必要がある。
また、いきなり作業を依頼されるのではなく、「これからこういう類の仕事を任せたいと思っている」という話を振られた場合であれば、自分のこれまで受けてきた教育の成果や今の仕事ぶりを参考に、得意そうな分野かどうかを推測する。
少しだけ体験してみて向いているか向いていないかを判断することも、場合によっては選択肢に入ると思う。この方法は、推測だけで判断するよりも正確性が高いように思われる。しかし、基本的には仕事の依頼者というのは依頼された者が確実にできるのかできないのかを確認したがるものだと思われるので、この手法はあまり喜ばれないものかと思われる。それでいて、上司とか先輩というのはチャレンジ精神を評価しようとする人物が多いので断るのもあまり体裁がよくない。ほとんど詰んでいるので、出来そうか出来なさそうかを判断させられたくないなと思った。
2:
●あなたは仕事の質をどうやって評価しますか?
その仕事の成果を受け取る人や次の作業手順にかかわる人の要求に応えることができたかどうかで判断すると思う。
研究や芸術をはじめとして、時を超えて評価されることがある仕事というものがある。自分一人で質を評価し得るとは限らないと感じるが、とは言え今を生きる人間としては最低限のフォーマットを守った仕事の方が評価できると感じる。
あなたにとっての「仕事の質」の定義を教えてください。
その仕事の成果を受け取る人や次の作業手順にかかわる人の要求に応えることができたかどうかで定義できると思う。
先ほど答えたように、仕事というのは誰かが持っているニーズに応えるために行われる作業のことであるから、それの出来栄えが受け手の主観的な満足度によって測られることは決しておかしなことだとは思わない。ただ、仕事というのは決して少なくない人数が関わるものであるので、個人の主観によって決まるわけではなく、多くの当事者がそれぞれに主観として評価した結果を寄せ集めたものが客観的な結果とされ残ると考える。
あなたは何かを購入する際、その商品の良し悪しに注意を払っていますか?払っている場合、あなたはどれくらい商品の良し悪しを正しく判別できますか?
購入した商品の品質も、私自身が持っているニーズにその商品が応えられるかどうか注意を払って購入します。
私の品質への評価を他の人が見る場合には私と異なるニーズを持つ人の存在も想像し、どのような人には勧めることができ、どのような人には勧められないかを明確にするかもしれません。
私としては、短期間で使い潰すよりかは長期で使いたい未来の自分も気に入りそうなものを買うことが多いです。私が7年ほど前に気に入って買ったティーカップは今見てもうっとりする美しさです。銀の装飾とブルーの色合いがとても素敵で、人に自慢できる代物だと思っています。可愛らしいブルーのものなので、女性向けかもしれませんが。使う時はもちろんとても丁寧に扱います。使うときに気分が良くなり、長く愛用することができるものを求めていたので、好みが変わらず丈夫でもあり今も使い続けていることを考慮すると、これは商品の品質への評価にに成功した例と言えるのではないでしょうか。
また、いざという時に換金しやすいかどうかも加味して購入に踏み切ることもあります。ロリィタ服を着ていた頃は、ロリィタファッションの服は、同価格帯の服よりも換金性が高いので、場合によっては入手するのに費やした金額よりも売却した金額の方が多くなる場合もあるため、他のファッションよりも手が出しやすかったです。また、高価な服なので、他の服よりも縫製が美しく、布の切り替え部分も柄もきちんと揃えられていることを確認して購入することが多かったです。
購入するとき、資産として価値になりそうかどうかは、私にとっては無視できない要素かもしれません。そのような観点での目利きは正しそうです。
本を買うときには、絵本ではない限りは紙の質や装丁の質にはあまりこだわりません。自分の興味関心に応えてくれる内容であれば良いと感じます。
私が購入したときには平積みではなかった本が、あとから目立つ場所に平積みされることが多いので、ある程度客観的にいいとされる本を見抜けているかもしれません。
3:
「プロフェッショナルな仕事ができる人」と「あなた」が並んで仕事をしている様子を想像してください。あなたには、とてもではありませんが、その人のやり方を真似することができません(そして、いつもそれを痛感させられます)。
●① こういう時、あなたはどのような気持になりますか?
とても憂鬱な気持ちになる。自分の不出来さが恥ずかしいなと思うけれども、仕事に取り組んできた年数に差があるとか、なんとか理由をつけて仕方がないと割り切る理由を見つけると思う。けれど、内心ではずっとモヤモヤしてしまいそうです。
●② こういう時、あなたはどう考えますか?
他の人と比べても仕方がないので、自分にやれることをまずやろうと思います。先輩などにフィードバックをもらうなどしながら、できる限り周囲からの期待に応えようとか作戦を立ててみるかもしれません。
●③ こういう時、あなたはどう行動しますか?
好きでやっていることほど、すっかり自信を失ってしまい、自分の仕事への適性を疑って仕事を辞めようかと身近な人に相談したり、自分の職種とは関係のない資格を取得しようとしたりするかもしれません。
興味のないことを仕事としているなら、待遇さえ悪くなければ、さほど気にすることなくそのまま仕事にしがみつくでしょう
4:
●あなたが何かの仕事をしていて、うまくいかない時、あなたはどうしますか?具体例を交えて説明してください。
まず、自分の仕事のどこがうまくいっていないかを把握する。例えば、パワーポイントの作成がうまくいかないとして、色彩の構成が上手くないのか、文章の配置の仕方がよくないのか、論理の展開に無理があるのかなどの原因を突き止める。場合によっては、上司や教師、先輩、同僚などにどこがうまくいっていないか指摘してもらう。
そして、過去の似た仕事の例を参考にしたり、パワーポイントの例でいえばデザインの専門書やロジカルシンキングについての書籍を見たりして上手いところを見て盗もうとする。
それでもうまくいかなければ誰か適切な人に教えを乞いに行き、それでもどうにもならなさそうならば、締め切りが迫っていくだけなので、上司に相談する。
●他の人が何かの仕事をしていて、うまくいかない時、その人たちはどういう行動をとることが多いと思いますか?あなたと同じ行動を取ると思いますか?それとも、もっと別の行動をとることが多いと思いますか?
同じような行動をとる人もいると思うけれども、うまく助けを呼べずに締め切りが近づくまで放置してしまい困り果ててしまう人もいれば、理論を知るよりも実践を積むことで対処しようとする人もいると思う。
しかし、私のやり方は付け焼き刃ではあるものの比較的速く技術を習得できると思っていることと、自分の能力が世間的には平均的なレベルであろうと推測することから、世間の多くの人は私と同じように行動すると考える。
5:
●もしも「エジプトにあるようなピラミット」を作らなければならなくなった場合、あなたはどう考え、どう行動しますか?
自身がピラミッド建設の発案者である可能性は低いと思われるため、他者が生み出した企画であり尚且つこれがビジネスと関係することを前提として考えます。
まず、上司などに相当する人物から何かしらの資料などが受け渡されると思うので、その資料を読み、建設の目的やコンセプトや予算、締切などを確認します。何かしらの懸念や疑問があれば、それらをまとめて上司や企画発案者など適切な相手に尋ね、解決します。資料作りから開始する場合は、議事録などを見て資料を作ることになるかと思われます。その後は、プロジェクトチーム内において決定されている、もしくはそれぞれの能力の違いによって確立されていった自分の役割に沿って行動を起こします。
おそらく、能力的にはアイデアの提案や締め切りの決定、プロジェクト内外の職場内の人間関係のコーディネート、人の気が付きにくい細々とした雑務などが私の領域になるかと思います。他社の人との交渉や、記録の作成、細かな事務処理は私のメイン領域とすべきものではないかと思われます。書類の点検などなら得意かもしれないのですが。
私がもしも強い発言権があるのならば、この企画が成功しない可能性が高い場合はそれを指摘すると思いますが、発言権がほとんどないとしたら何も伝えません。そして、その企業が利益を生み出せない仕事ばかりをしている場合はより発展性のある会社に転職することを考えると思います
Ti
1:
「特定の条件にだけ適用できるものを、一般化すること」「一般化されたものを、特定の条件に適用できる形にすること(特殊化すること)」の具体例をあげてください。
中学や高校では黒髪でない生徒は染髪をしているとして黒染めをさせられる(一般化)
中学や高校では黒髪でない生徒は染髪をしているとして黒染めをさせられることが多いが、地毛として届出をすることで免除されたり、染髪が禁止されていない学校も存在する(特殊化)
すみません、よくわかりませんでした。
2:
「論理的」とはどのようなものだと思いますか?
あなたの考える「論理的」の定義と、世間一般的な「論理的」の定義は一致していますか?それとも異なっていますか?
論理的というのは、論理学で研究されるような形式に則って結論を導くプロセスだと私は考えている。その結論の正誤にかかわらず、その形式に則っていれば、それは論理的であると言えると私は思う。つまり、論理的であることはその主張の正当性を保証しないと私は考えている。
まだ発見されていない論理の形式というものもあるかもしれないが、それが論理的であることを証明するのは既存の論理の形式であろうから、ここでは詳しくは語らないことにする。
一般的な考えよりかなり形式張ってるとは思うけれど、他者から「それはおかしい」と言われるほどズレたものでもないと思う。
3:
システムや分類、あるいは社会的組織にみられる「階層構造」とはどのようなものですか?「階層構造」という言葉を知らない小学生に言葉の意味を解説するつもりで、具体例を交えて説明してください。
階層は例えば、マンションなどがわかりやすい例かと思います。高さのあるものに上と下の間に明確な区切りを用いれば、それはなんであれ階層となるでしょう。
その階層によって支えられている構造が階層構造です。例えば、武士などのお侍が一番偉く、農民や商人はそれよりも下の位の存在であるということを前提とした社会を設けたとすれば、それは「階層構造のある社会」と説明することができます
あなたは「階層構造」に従う必要があると思いますか?
ヒエラルキーに従う必要性があるのは、ヒエラルキーを維持することに全ての関係者になんらかのメリットがあるときだけです。
例えば、会社に所属することで人は固定給を得られ、福利厚生などの権利を得ることができます。人々が協力することによる成果の恩恵を受けることができます。その会社の人数が多い場合、全体がどのように動いているのかを観察し、状況に合わせて指示を送るなどする管理職の存在が必要になるでしょう。そうでなければ、人々は目標を見失いバラバラに動き始め、利益をあげられなくなります。利益が上がらなくなれば、従業員の給料はカットされてしまうでしょう。
このように、全員に利益があり合意がある場合、ヒエラルキーに従うべきでしょう。
また、関係者の合意なく設定されるヒエラルキーは権利の侵害であり違憲行為ですが、暴力をはじめとするなんらかの力を行使するという脅しがある場合、ヒエラルキーに従うべきだという判断をする者もいるでしょう。その場合は、ヒエラルキーの中で下のものが暴力を振るわれないということにメリットを見出しているために維持されます。
これは道徳的な語り口ではありませんが、道徳的でないシステムについての説明をする場合にどのようにして道徳の範囲内の論理のみで語ることができるでしょう? そのような方法は、ないかと思われます。
4:
以下①~⑥のどれか一問に、できるだけ詳しく答えてください。
③ 次のテーマのうち、どれかひとつの分類を行ってみてください:「音楽ジャンルの分類」「乗り物の分類」「税金の分類」「燃料の分類」「動物の分類」
税金には、国に納める国税と、地方に納める地方税がある。他にも税の納め方の区分で間接税と直接税に分けることもできる。この二つの区分は、独立した関係にあるため、直接税で国税、地方税で間接税など二つの区分を持つことができる。しかし、これは二元論的な区分であるため、直接税かつ間接税、国税かつ地方税というふうに分けることはできない。
また、収税の名目別に所得税や消費税などの区分も設けられている。これは先ほどの例よりも下位のカテゴリで、これ自体がその税の名称であるからして、これ以上細分化することはできない。
④-1「分類」という言葉の意味を説明してください。
5:
情報を構造化して整理する必要性を感じることはありますか?また、そう感じるのはなぜですか?
自分が持っている知識の学際的な立ち位置やその中にある矛盾への批判などを知り、その知識にまつわる情報が構造化されていなければ、うまく知識を扱うことができない可能性があるため、必要性を感じることがある。
また、仕事で使うフォルダの区分のように、物理的に情報を整理する際に誰が見てもどこにあるか直感的に理解できるようにレイアウトするためにも必要性を感じる。
情報を構造化して整理する方法として一般的によく使われる方法を説明してください。あなた自身の方法というより、世間一般的な方法を教えてください。
名称、使途、情報自体の作成した日付、作成者などその情報に関連するなんらかの区分を基準に、前もって決めた法則に従って分類し、配置する。本を図書室の棚に収めていくのと同じようにする。
あなた自身は、どのようにして情報を構造化して整理していますか?
ある本とその関連分野である本は本棚にしまう時は近い位置に配置することで、視覚から見ても近い分野であることを示す。何かを調べるときに、同時に手を伸ばして参照することができる。
特定の本を読んでいて、別の本の内容が想起された場合は、その別の本を参照し、内容をメモする。どちらかが片方の発展系であれ、同一の意味の情報が書かれているときであれ、反対の意見であれ、私が自分で特定の物事への正誤について思考する際の参考になるため。
質問内容はFrom Over The Sea より
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