【ソシオニクス】機能の次元の質問と個人的な回答例 Ne・Ni編

Ne
1:

  • 人生には意味があると思いますか?

 人生ははじまっった時点では意味はないように思う。人間は人が産むことで生まれるものであるから、意図や因果があるとは言えるであろうが、意味自体はないと思う。
 しかし、人間が人生に意味を生み出そうとする行いは無価値であるとは言わない。意味があるかどうかはともかくとして、主観的にいえば十分に価値のあることだと思う。
 個人的には、大抵の人間は人生の中に大きな目標を打ち立てて(政治的あるいは宗教的な活動目標の達成であることもあれば、ビジネス的もしくは芸術的成功、理想的な結婚や家宅の購入などのイベントである場合もあるだろう)それを達成することで人生を意味あるものに成し得ようとすることが多いように感じている。
 だがしかし、私にとっては人生によって重要なのはそのような結果と呼ばれるようなものではなく、日々をどのように過ごすかであって、人生に意味があるかどうかなどという問いそれ自体にあまり価値を感じないとおもった。


  • 人生に意味があるという場合、その意味は何だと思いますか?

 質を追い求めること


  • 人生の意味は、全ての人にとって同じだと思いますか?

 人生の意味について考えたこともない人もいるだろうし、自分で答えを見つけた人もいるだろうから、同じにはならないと思う。

2:

  • 未知の人に出会った時、すぐに「おそらく、この人はこういう人だろう」といった情報を掴むことはできますか?

 その人が何者であるかは、私自身もその人も永遠にわかることはない。わからないから生きているのかもしれない。
 その人の資質も、いつ開花するかはその人自身にも他の人にもわからないことがある。だからこそ面白い。まあ得意不得意は誰にでもある。把握するまでに時間がかかるかどうかをさておき、時間をかけたい分野だと思う。


  • 上記のような情報を、あなたはどうやって掴んでいますか?

 喋り方や服装、仕草などで簡単な性格や趣味の予測はできると思う。自然などの動かし方も、その人が何を意識して何を無視するのかをよく表すと思う。


  • 「この人はこういう人だ」と理解するのに、どれくらい時間がかかりますか?

 人はいつどのタイミングで変わってしまうかわからないから、先入観は持たないようにしているけれど、「こういうことはされたくない」とか「これをされると嬉しい」という情報は逐次取り入れている。
 そういう情報が大体その人がいつ何を言ったり後から「あの時はこう思っていた」と聞かされることになるかというような予測ができるほどに出揃うまでの期間は、その人と親密になるスピードに依存しているが、個別のメッセージを時々送り合う仲になる頃にはある程度「こう思ってるんじゃないか」という人間像が出来上がってくる

3:

  • アインシュタインの名言に「この世には2つ、無限なものが存在します。それは宇宙と人間の愚かさです。もっとも前者が本当に無限なのかどうか、私にはわかりません」というものがありますが、愚かさの本質とは何だと思いますか?

本質という言葉について疑問があるので私にはわからないが、愚かさの全ての根源は誰にも自分自身を完全に把握することができないことだろう。
 そして、過去、現在、未来における自分の全てを把握することは絶対に不可能であろうからそれは無限と言えるのではないだろうか。なぜなら、それは世界の全てを知ることと同じことだからである。そんなことをしたら恐らく人間の脳は耐えきれず、ハロウィンのことしか考えられなくなると思う(チェンソーマンネタ)。
 また、その愚かさが引き起こす愚かさもまた無限である。利己的な行動を省みることができないが故に人は多くの気候変動を引き起こし、戦争を始め、資源は増えたにもかかわらず奪い合いを止めることができない。
 多分そう。きっとそう。


  • なぜ愚かさは無限なのだと思いますか?

 情報というものは時間に沿って増えていくから。人間はありとあらゆる情報と完全に無関係ではいられないので、人の中にある無知も増殖していく。
 人生における時間は有限だが、時間そのものはどこまであるのかわからないから、無限ということにするしかない。


  • 愚かな人と、そうではない人の違いは何だと思いますか?

愚か者の特徴は、自身にしろ他人にしろ、誰かのことを愚か者ではないと思い込むというものだと私は考える。全ての者は何かしらにおいて必ず愚かさを持っている。そのことに気づかない場合、各所で多くの災いを引き起こすことになるだろう。

4:

  • 真実、半分だけ真実、虚偽:この3つを区別する基準は何だと思いますか?

当事者がその事象についてどこまで信じているか。
 完全に信じていれば真実、半信半疑なら半分真実、完全に嘘だと思っていたら虚偽。真実はそれぞれの心の中にある。でも、信じていたことがひっくり返ってしまえば真実は嘘に変わってしまう。


  • 純粋な真実や、純粋な虚偽は存在すると思いますか?

 純粋な信仰がありうるかどうかと同じ答えになると思う。人の心の中のことだから、本当にあるかないかというのは誰も知ることができない。私は完全に疑いを捨て去るということが苦手だからないと思っちゃうな〜


  • いくつかの具体的な事実やデータが組み合わされた結果として虚偽が生まれるメカニズムを教えてください。

 事実とデータの保存方法が乱雑であったために、当事者全員が真実を伝えようとしたにもかかわらず、情報の受発信に混乱が生じて結果的に虚偽の内容の伝達が行われる

5:

  • アイデアが優れているかどうかにおいて、必ずしも正確性は重要ではありません:この考えについて、あなたはどう思いますか?

個人的な楽しみのためのアイデアならば必要性は低くなると思いますが、それが福祉やビジネスなどに関係する場合は正しいものでなければ有形であれ無形であれ利益を発生させることは不可能だと思います。
 議論の場に発展性を持たせることが目的だとしたら、正しくなくても意図に沿う効果が得られることはあるかもしれませんが、意図を隠したままそのようなことばかり発表すれば周囲に愚かな人だと誤認される危険性があるように思います

6:

  • 想像力という言葉の意味を、あなたなりに解説してください。

 自分の認識する現実とは違う現実を体感しているかのように見せかける能力のこと。
 自分の視野とは異なる意見を形成する力。


  • 全ての人が想像力を持っていると思いますか?

 ない人もいるかもしれない。ない人を想像できない人は想像力に欠けるかもしれない


  • あなたは自分に想像力があると思いますか?また、それはどのような形で発揮されることが多いですか?

 ないかも〜。でも、相手の発言の傾向から類推して何を嫌がって何で喜ぶか見当をつけたりすることもあるから、ないとも言い切れないのかも。

7:

  • 誰かが(またはあなた自身が)他の人と異なっていて、その違いが目立っている時に、あなたはどう感じますか?

 恥ずかしい。自分が秀でているとしても、あまりそれが目立たないようにするかもしれない。


  • 「この人は他の人とは違う」あるいは「この人は他の人と同じだ」ということを、あなたはどのような基準で区別していますか?

 フィーリング。結局、人はそれぞれ異なっていて、「他の人」というのは私が見てきた人の総合的な姿にすぎないから、実際に関わった人の層がどのようであったかで「違う」か「同じ」かが決定されてしまう。とても主観的なものだし、同じだろうと違いがあろうと他者に伝える必要はさしてない(その情報は、自分がどのような人と関わってきたのかという意味しか形成しない)のだから、適当で良い


  • 「他の人とは違う」という在り方が容認されるのは、どのような状況や条件が満たされた時だと思いますか?

 みんなが他人のことをあまり気にしていない時や、違いがある方が良いと思っている時。また、その違いそのものが他者の役に立つ時。

Ni
1:

  • 人はどのようにして変化するのだと思いますか?

 その人が自分のこれまでについてメタ認知をして物語的に仕立てた自分の人生のシステムが、他者のシステムと触れることで破壊され再構築された時。無意識というものに言語が触れ、その無意識が意識下へと引き摺り出された瞬間。


  • あなたは、こうした変化についてどう思いますか?

 面白い。興味深い


  • 他の人は、こうした変化に気付いていると思いますか?

 それがどのようにして起こってるかについて自分なりの見解がある人は少ないと思うけど、変化自体はみんなよく気づくと思う

2:

  • 「時間」という概念の意味を、あなたなりに解説してください。

 身体や言語によってしか体感できないもの。体感はできても、理解されることのないもの。
 自分が何をしたのか、何を感じたのかによってしか掴むことができない。数値として計ることもできるけれど、それは記号という言語が用いられている。体感する世界を並べた時系列として、物語的に処理されていくもの。


  • あなたは「時間」という概念に対して、どのように感じますか?

 ものすごく不思議で巨大なもの。世界や宇宙に起こるイベント全てと密接な存在。因果というものは人の理解を超えている。その因果を生み出す母のようなものが「時間」と考えると、ロマンがある


  • あなたは「時間」に囚われずにいることができますか?

時間は我々を覆い尽くしているので、無理

3:

  • どれくらい時間がかかりそうか予測を立てる時、他の人の手助けが必要ですか?

 自分が「これくらいの時間でできるだろう」と思った2、3倍くらいの時間がかかる。体調が常に好調とは限らないからね。
 この法則を当てはめれば、他人の助けは必要ない。


  • 他の人が立てた時間の予測を、あなたは信じるほうですか?

 信じない。なぜなら、自分が「これくらいでできるだろう」と思った2、3倍の時間をかけて物事を終わらせているので

4:

  • あなたは遅刻したり、締め切りをオーバーしてしまうほうですか?

 しない。頑張ってるから


  • 他の人が遅刻したり、締め切りをオーバーしてしまった時、あなたはどう感じますか?

 そういう可能性を考えて自分に損失が起きないように工夫を怠らないから、平気。何も気にする必要はない。

5:
「人と会う約束をした」という状況を想像したうえで、以下の①~⑤の時のあなたの気持ちと行動を回答してください。

  • ① 会う約束をした瞬間

② 約束した時間の20分前
この時点で到着しておきたい。5分前に着くと5分間何していたらいいかわからないけれど、20分ならば相手の到着までに本を読めばある程度集中して数ページは読み込めるし、ソシャゲはそれなりに走れるし、誰かからのメッセージが来ていたらそれに返信できる。
到着していなかったら、「迷子になったら遅刻になるかもしれないな」と心の準備を始める

③ 約束した時間の5分前

この時点でまだ自分も到着していない場合、遅刻の危険性がかなり高い。今自分がどこにいて、何分くらい遅れそうで、どう過ごしてほしくてその埋め合わせはどうするべきか考え始める

④ 約束した時間になったのに、相手が来ない時

待ち合わせ時間ぴったりに到着する人は少ないからそのまま待機することにする。

⑤ 約束した時間から20分過ぎたのに、それでもまだ相手が来ない時
待ち合わせの予定があることを忘れていないか連絡する。今気付いたと言われた場合は急がずに気を付けて向かうように伝える。暑かったり寒かったり雨が降っていたらできれば無料で居座れる場所を探すなどして屋内で過ごすことにする。待機時間ができた時のための暇つぶしの道具は常に携帯しているので「自由時間のタイミングが変わっただけだ」と考えるようにする

⑥ ⑤の後、さらに時間が経っても、相手が来ない時
多分予定を忘れてしまったのだろうなと思う。一応電話をしてみて、返事がなければ翌日に共通の知人に相談する。知人からも連絡が取れず、事件もしくは事故に巻き込まれた可能性がある場合はその知人と協力し話し合いながら解決を試みる。
何もなければ相手から連絡が来るはずなので、そのときは相手の都合に合わせて話の流れに沿って次に会う予定を立て直す。

6:

  • 時間とは、祝福だと思いますか?それとも呪いだと思いますか?

 人の主観でしかない。でも、たくさんあると嬉しいから祝福なのかも。


  • 運の良し悪しは、あなたの人生にどのような影響を与えると思いますか?また、そもそも「運」とは何だと思いますか?

私の人生全体を作り出している。
昔姉がピアノの発表会でバラをもらってきたことがあって、それの世話をしたのは私だった。それの世話を自分でしたことは幸運だった。私は今もガーデニングを趣味にしているから。
昔私は中学校の半年間を休んだ。そのために勉強は遅れ進路の選択は大幅に狭まってしまった。けれど私がその半年間を休んだことは幸運だった。その期間に私は周囲の大人が見落としていた自身の障害を見つけることができ、その生涯は自分のアイデンティティの一つになりたくさんの人との出会いを作ってくれた。
そういった全てのイベントは私の人生の中で有機的に働いていて、これからの私の人生を作り上げていくと思う。私の人生の全ては幸運の連なりでもあるし、不幸の連なりでもある。でも、私は生まれてきてしまったということに感謝します
 運とは、因果関係を当事者では読み解くことができない現象のこと


質問の文章はこちらよりいただきました
https://casual-typology.blogspot.com/2023/12/socionics-test-list.html?m=1

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