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「ない」ことの希望
こんにちは。ぬくぬくママSUN'Sかなちゃんです。
お正月明けましたね。
今年も改めてよろしくおねがいします。
お正月の間、ゆっくりしながらいろんなことを思考する時間となりました。
ふと、新しいNHK大河ドラマの予告編を見ていました。
今度のお話は、江戸時代になかった仕組みを作って
人を助けたり、新しいおもしろいことを作った人のお話のようで、おもしろそうだなと思いました。
キャッチフレーズが、
「親なし、金なし、家もなし」ないない尽くしの江戸のメディア王らしいです。
それを聞いて、
うらやましいなあ!!!って、直感的に思いました。
いろんなものが「ない」時代に、新しいものを次々と作っていった時代って、いいなあって思います。
今も、ないもの(仕組みなども含め)はあると思いますが、
例えば、スプーンがないときにスプーンを作ったり、郵便のない時代に郵便を作ったりするような、単純なことは、ほぼほぼ「ある」状態だと思います。
だから、なかなか「ない」ってことが少ないですよね。
戦後などの食糧難の時と比べて、
多くの人にとって食べ物もあふれているし、
情報量は、江戸時代の人の一生分が、今の人の1日分だとか・・・
また、日本には、医療保険もあるし、生活を保障してくれている制度もあります。
それなのに、死にたい人は後を絶たず、子供の自殺率まであがっちゃう。。。なんだかどうしてだろうって思います。
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私は、小さいときから、自分が「不幸」とか、「恵まれていない」と思ったことはありません。なぜなら、家族は揃っていたし、お金に困ることはありませんでした。
でも、最大にないものがありました。
それは、「安心」と、「自由」です。
それは40歳を過ぎて、初めて認識しました。
それまで、なぜ自分がこんなに生きるのがしんどいのか、
全く見当もつきませんでした。ただ、どう生きればいいかいつも悩み苦しんでいました。
お金がなかったり、家族が少なかったり(ひとり親や、独身など)だとすると、私は恵まれていないんだ、だから、こんなに気持ちがしんどいんだとわかることができます。
でも、そうじゃないと、なぜこんなに自分が欠乏した気持ちで生きねばならないのかに気づけません。
お金があっても、お金を自由に使えない場合もあると思います。
それは、努力して自分の自由になるお金を生み出す自由がない場合がほとんどです。
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だからなのかな。
時々、「ない」ってうらやましいなって思います。
反対側から見たら、きっとわたしの方が羨ましい存在なのかもしれないです。
例えば、実家が近くにいて、親が健在であることはとても幸せなことだと思います。でも替わりに、自分が一人の力でチャレンジする機会がありません。
また、一緒に子育てや、生活をしてくれる優しい協力的なパートナーがいる場合もそうだと思います。
「ある」ときは、なにも気づけないんです。
だから、「ない」ときに人は成長できるし、自分自身を生きられます。
だから、ほんとに、「ない」ことはすごいチャンスです。
病気や、困りごと、すべての困難にそれは言えると思います。
もちろん、いやなことや困難は私もいやです。
でも、「ある」ことも「ない」ことの表裏一体。
「光」があるから「影」があり、
「悲しみ」があるから「喜び」を感じられると思います。
じゃあ、「ない」人にはない人の悲しみと喜びがあり、
「ある」人には、ある人の悲しみと喜びがあるんだと思います。
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私には、学校に行けない子自身の気持ちも、障害を持っている人の気持ちも、お金に困っている人の気持ちも、セクシュアルマイノリティの当事者の気持ちも、全部理解することができてないと思うし、わからないところがあると思います。
でもそれは、何かのマイノリティでなくても、一人一人が違う気持ちや経験があるというだけで、すべてを理解することは、誰にもできません。
私と同じように子どもが3人いる母親の気持ちだって、ひとりひとり違います。
だから私をすべて理解できる人もきっといないと思います。
私は、どんな状況の人にも、喜びと悲しみが混在していて、
不幸だとか幸せだとか決めつけることはできないし、ましてや、他者がそれをジャッジすることはできないと思っています。
誰が、誰かより不幸だとか、幸せだとかは思わないし、
どんな状況の人が一番不幸だとか決めたりもしません。
ただ、「わからない」ではなく、
「教えて」と寄り添いたいなと思うし、自分と違う人のことを学び続けたいと思います。同時に、自分自身のことも、周りに開示して、少しでも理解してもらいたいと願っています。
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私は、みんなが、互いを思い合い、足りないところを補い合い、
「なにがあったの?」
と、やさしく寄り添える世界が作りたいです。
分からない人がいたら、わかる人が助ければいいし、
持っている人がいたら、持っていない人に分ければいい。
完璧な人なんていないから。
「そのまま」のみんながパズルのピースのように重なり合って、ぴたっと合わさって、大きな仕事を成しえていけたら、めちゃくちゃわたしは嬉しいです!
私は、自分に自信がなくて、完璧でないから、チームで仕事をしているんだと思います。
きっと、今年も私に飛んでくるバイオレンスは各所にあると思います。
感じやすいので、いつも傷ついていますが、でも、バイオレンスも、抱きしめながら溶かしていける強さを少しは身に着けていきたいです。
泣いちゃうこともきっとあると思うので、よかったら、やさしく声かけてくださいね。
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