テレビを見ない生活
ニュースを見ると気が滅入る日は多くありませんか?
誰かが悲しい目にあったり、誰かが暴力暴言を吐いている映像を見ると見知らぬ他人のことでも「怖いこと」として心に積み重なって無自覚に気分は沈むのです。
だから私は最近めっきりテレビを見ませんが、日常にあまり支障をきたすことはないのです。
テレビを見ない代わりに本を読んだりtwitterをいじっています。現代を生きる大抵の人はスマホ毎日手にするでしょう。
それは私のようにtwitterを見ているだけではなく、動画や電子書籍、ネットニュースなどに目を通したり、家族や学校勤め先との連絡を行ったりと様々です。
私自身もスマホで見るのは娯楽だけではなくウェザーニューズで雨の気配を察知したり、生協で今週は何を頼むか? という生活に欠かせない分野にも及びます。
ニュースで音声や映像を見ることを好む人はいるでしょう。しかし、スマホという手のひらに乗る小さなツールは個人の検索履歴やらを勝手に学習して好みのものを優先的に見せて来るようになります。
テレビで流れる映像は自分では選べません。けれどtwitterなどでニュースを見るとき、それがフェイクなのかどうかはさておき主に文章という形で見ることが多いでしょう。少しショッキングであったりしても映像や音という逃げられないと錯覚するような重いものよりも情報としては軽いものです。
テレビを見る機会が減っても、好きなバラエティ番組を見る時間は相変わらずあります。単にニュースで気が滅入るから目を逸らしているたけですから。
そのお陰で知らない芸能人が増えたりはしますが、自分が見知った芸能人は相変わらずバラエティ番組では見るので世代交代と割り切れます。
テレビを見なくても案外なんとかなります。
怖いことを無理に見る必要はありません。小麦粉の値上げもネットニュースで知れますし、生協で野菜を買おうか悩むと季節を感じることが出来ます。
怖い話が苦手な人が怪談を避けるのと同じように、見るものを選んでも生活は出来るのです。
もちろん情報を選んでばかりでは偏りはありますが、そもそも情報は偏るものです。
映像や音はショッキングなものです。
映画や漫画などでスプラッターなシーンは何考えずに見れても、ドラマで殺人事件を解決する探偵を見れても、現実のこととなると怯えてしまうのは仕方がないことです。
四月という新生活が始まる季節により心を疲弊させる必要はありません。
慣れない生活に自分でも理解できない現実の問題から一歩引いて心を守ることは大切なことです。
こうしてnoteという場で私も言葉を選んでいます。テレビを見ないことは悪いことではないし、心が疲れるなら見なくていいと、朝起きたらニュースではなく、リアルタイムで道路とかが映されるよく分からない番組に変えられたまま一日を過ごします。
少し世間に疎くなっても、その分自分の時間が取れて不安は少し減ります。
テレビを見なくても生活はできます!