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ちいさな国を手に入れて

 引っ越した日は生憎の雨模様だった。

 俺は進学をきっかけに東北に住むことになった。
 しかもなかなかマイナー、山形県。

 引っ越しを迎える3月中頃はまだ全然寒いとのことだったから、どれくらい寒いかよくわからなかったけどちょっと羽織れる程度のものを持って夜行バスに乗り込んでいた。

 昔は今ほど真面目に天気予報アプリを見なかったし、そもそも当時はそんなものをスマホに入れてたか記憶が定かでは無い。
 つまるところ、天気予報なんて碌に見ない俺は引っ越し先が今日、どんな天気かなんてことも気にしていなかったのだ。

 故に夜行バスが朝方山形駅前に着いた頃、随分としっかり雨が降っていてとても寒かったことも予想なんて出来なかった。

 早朝の山形駅前はミスドくらいしかやってなくて(まだあるかな)傘も持っていなかった俺は腹ごしらえと雨宿りを兼ねてミスドでちょっとした荷物を抱えながら時間を潰すことにした。
 実のところ、入試が終わってから数回大学には行っていて、完全に未知の世界じゃなかった山形でどうやって過ごすかを考えるのはそんなに難しいことではなかった。

 後ほど父とアパートで合流することになるとは言え、初めての一人暮らしに対して不安なんかなんもなく、これから広がる自由な生活に期待感を持たずにはいられなくて、駅から30分くらい歩いたアパートとの中間地点あたりの不動産屋に鍵を貰いに行って、それから俺の生活は始まる訳だ。そんな瞬間が一刻も早く訪れてほしくて俺はやはり、ずっとワクワクしていたのだ。

 なかなか雨は止まず、仕方がないので駅前のファミリーマートでビニール傘を一つ、渋々買って三月の冷たい雨を防ぎながら不動産屋へ向かった。

 夏頃、大学に初めて行った時の道を歩きながらつい半年ほど前のことに思いを馳せたりしていると、すんなり不動産屋に着くことができた。

 そもそも方向音痴のきらいがある俺はあんまり複雑な道は覚えてられないんだけれど、山形では何故だか道に迷ったことがなかった。
 道が簡単なのか、目印が埋もれないのか、相性がいいのか。
 理由はともあれ、まあ道にも迷わず不動産屋に着けたのはありがたい。

 雨強いから心配してたよ、とか何やら色々世話を焼いてくれて、社長の妙にでかいクラウンに乗せてもらってアパートまで行ったことを覚えている。

 二月ごろにも山形に来て、この妙にでかいクラウンで物件の内覧に行ったなあと思い出しながらアパートに着いた。

 いやあ、ここが俺の城ですか。なんて口には出さないけれど随分ワクワクしながら社長にお礼を言って荷物を持ってちょっとボロいアパートの二階に上がって、部屋に入った。

 初めて帰ってくるはずだし、何よりものなんて何も置いてなかったけれど自然と出てきたただいまは、俺のこれからの生活がひとつ、良いものになっていくような気がした。

 いやあ雨に降られちゃったよと思いながら靴下とズボンを脱いで、さあエアコンを付けようと見慣れない形のエアコンとリモコンをガチャガチャと操作したものの、何やら応答がない。

 俺の新生活は壊れたエアコンとパンツにTシャツ一枚スタイルで始まったのだ。

 このあと急いでさっきの社長と大家に電話をしてエアコン修理に入ってもらうことになったが、即日なんてことは無いため代わりにと大家が石油ファンヒーターを持ってきてくれた。

 この時ほど文明のありがたみを感じたことはないかもしれない。

 父がアパートに着くまで俺は、特にやることもなくファンヒーターの前でちいさくなり、暖を取ってこのワクワク感を一人で噛み締めていたりした。

 もうすぐ知らない春が訪れようとしている。

「ちいさな国を手に入れて」

ぬくもり

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