降り注ぐ雨になりたくて
結構インターネットでは死にたくなっている人が散見される。
彼や彼女らの悲しみや絶望はこれっぽっちも俺にはわからないんだけれど、それでも俺がちょっとだけ、彼らの絶望にちょっとだけ、寄り添ってみたほうがいいのかもと過ぎるのは誰にも何も言わずに死んだ女のせいなのかもしれない。
その女との出会いは大学三年か四年の頃、仙台のバーだか居酒屋でバンド仲間主催の飲み会だった。
小説みたいな話で恐縮だけど、その女はその瞬間地球に居た誰よりも美人だった。
目の色が変わったのは俺だけじゃなく、その場にいた男は殆ど度肝を抜かれたと思う。
何でこんなところに天使が居るんだろう、とさえ思った。
そんな天使は偶然俺と吸っていたタバコの銘柄が同じだったことから他の男より一歩リード、ベースをやっていた事が同じだったから更に一歩リード、決め手は地元がめちゃくちゃ近くてマニアック過ぎる大宮トークを繰り広げて完全に勝ちが確定した。
だいぶ端折るが俺たちは絶妙な距離感(正確に言うと高速バスで1時間)で付き合うことになり、同い年の学生だった彼女は真面目に大学に行っていたからか、いつか書くけど単位があまりにも足りない俺に比べて随分少ない頻度で通学していたから暇さえあれば家に遊びにきていた。
これもいつか書くけど、田舎の暮らしにすっかり馴染んだ俺はロクに鍵を閉めない習性があったからこの女も俺の友達連中と同じく勝手に部屋に入り浸っていた。
帰ったら彼女を含めて男女合計五人くらいにおかえりと言われた日は流石に驚いたけれど、まあこれが日常だった。
とはいえ大抵彼女がいると周りも空気を読んでか部屋に入らず帰ったりして案外二人の時間が生まれたりしていた。
そんな感じで日々を過ごしていると、俺は俺で課題やら制作やらで多忙になり、彼女も卒業に向けて色々と忙しくなり、なんとなく会わないと言うか会えない期間が発生してきたりしていた。
昔ならともかく、俺も二十を超えてそう言った寂しさに向き合う方法を身に付けていたし、彼女もそうなのかなあと思って、お互い大変な時期だなあなんて思っていた。
SNSが好きじゃない彼女はアカウントすらも作っていなかったから、日々の動向なんてものは何一つ見えなかったけれど、お互いそれなりに筆まめな性格だったから特に不安に駆られることもなかった気がしていた。
彼女は恋人は常に側に居ないと嫌なタイプだったと言う誤算を除けば、割とうまくいっていた二人だった。
その誤算が歪みを生んで、ただそれなりにこれまでの人生色々乗り越えてきた二人ではあったから大きく揉めずに、寂しさや悲しさはあったものの別れることになった。
人生のうちの数少ない遺恨の無い、別れであった。
ここまでが起承転結で言うところの起くらいの部分で、ここから更に話は変な方向へ進む。
そこから時間は少し経ち、俺は大学を卒業し仙台に就職した。
そんなことをリアルの友達と繋がっているツイッターでツイートすると、しばらくぶりに彼女から連絡があった。
ツイッター作ってみたんだよね、と。
突然の連絡で不意打ちを喰らい、更にはちょっと意図を勘繰ってしまうような内容で俺はまんまと食いついてしまった。
今どんな仕事してるの、とか他愛のない話に花が咲いたりして、変に遺恨も無かったからあっという間に俺たちは少なくとも友達くはいには戻ったように思えた。
彼女の作ったと言うツイッターは、まさかのリアルの友人ゼロ、2ちゃんで集めた変なフォロワーばかりだったからそれには驚いた。
誰も私のことを知らないからいいんじゃん、と何だか楽しげに言うのであった。
ともあれ、そんな様子で彼女のツイッターを見たりしているうちに、特に大きな意味もなく、俺もリアルの友達に認知されていない今のメインアカウントでフォローしたりクソリプを送ったりして楽しんだりしていた。
すると彼女は「リア友にこのアカウント見つかった!」と、何だかわざとらしく騒ぎ立ててフォロワー達を楽しませたりしていた。
そんな仕方のない、ちょっと愉快な日々を送っていると段々彼女はそう言うことにも飽きてきて仕事に打ち込んだりしていった。
俺はまだここにいるよと思いながらも、特段引き止めると言うか、インターネットやろうぜ!と言ったよくわからない理由でツイッターに呼び寄せることもなかった。
進展がないと俺たちは疎遠になりがちであったから、ここから時間は四年ほど進むことになる。
仕事にも慣れ(俺は何度も仕事を変えたけど)社会というものもうっすらわかってきたようになった日々になってきた。
そんな頃、彼女からまた突然連絡が来た。
2022年の8月の下旬から9月中頃だった気がする。
突然飲みに行こうと誘われた俺は、酒豪の彼女にまた付き合わされるのかとちょっと憂鬱な気持ちになりつつ、何か起こるのかと期待せずにはいられない悲しい性質は隠しきれないでいた、
しばらくぶりに会った彼女はずいぶん様変わりしてしまっていた。
綺麗で透き通った目はくぐもり、肌も幾分か荒れて、浮世離れした金髪に染めた彼女は相変わらず綺麗だったけど、破滅的な危うさを漂わせていたように思う。
彼女は夢だったグラフィックデザイナーはあまりにも食っていけないから辞めたこと、今の彼氏がホストなこと、ちょっと前から風俗で働き始めたこと、俺が衝撃のあまり相槌もしていないのに溢れ出るように話し続けていた。
うわあなんか漫画みたいな展開、とあんなにも好きだった彼女がボロボロになっている様を見て俺はどこか鳥瞰で見ているような、ワンシーンを画面の向こうで見ているような錯覚に陥ってぼーっと、彼女の話す内容を聞いているフリをするので精一杯だった。
こんな事が本当に、それも身近に起きるものなのかと呆然するばかりであった。
一通り話し終えた彼女は、分煙が進んだ居酒屋の喫煙ルーム行こうよと俺を誘い、一畳と少しくらいの狭い狭い部屋になんとかおさまり、タバコの火をつけた。
彼女はいつの間にか吸うタバコが変わっていた。たくさん変わったところがあったけれど、これが一番彼女が変わってしまったな、と俺が実感した部分でもあった。
こうして俺たちは何度かタバコを吸いに行ったり、珍しく俺も酒を飲みながら何か、昔に、あの時に戻る術は無いものかと妄想するばかりだった。
日付が変わる前に彼女は「今結構死にたいかも」と突然呟いた。
俺は元気が出ればと言う思いで「本当に死にたい時って死にたいって思わないらしいよ、まだこれからでしょ」と言ったような言葉を放った。
彼女はそれを無視して、帰ろうかと言ってその日はお開きになった。
それから何度か彼女の休みに高頻度で会ったりラインをやり取りしては見たものの、なんだか会話が噛み合わないと言うか、端的に言うと一緒に居て楽しくなかったのだ。
こうして彼女とは疎遠になりました。ほろ苦いですね、めでたし。
とはいかないのが人生というものなのだろう。
10月中頃、ちょうど今くらいのやっと涼しくなってきた頃。
彼女の妹から、連絡先も知らなかった彼女の妹から彼女の訃報を聞いた。自死だったそうだ。
彼女は、つい1か月くらい前まで会っていた彼女は死んだらしい。
彼女の妹は、彼女のiPhoneのパスコードを知っていたからそれを解除してやり取りなどを見ながら伝えた方が良さそうと思った人に連絡してると言う。
妹フィルターをすり抜けた俺は彼女の訃報を無事耳にする事ができたと言うことだ。
これはもしかしたら、多少なりとも幸運であったと言うべきかも知れない。
その連絡が無かったら俺は今でもそのことを知らずに生き続けていたかも知れない。
ただ、知らなければこんなにもこの季節に憂鬱な気持ちになったりしなかったのかも知れない。
お葬式は身内でやりました、お墓は生前本人がどれくらい本気かわからないけど海洋散骨がいいと言っていたんでこの間家族で業者と散骨してきました。
淡々とそう言った事務的な連絡、恐らく俺以外の何人にも送っているだろう事実を俺にも知らせてくれる。
そうか、あいつは海洋散骨か、公式と解釈一致過ぎるな。海に撒いてほしそうだもんなと噛み締めながら、想いを馳せる。
後々彼女の親しい女の子と話す機会があって聞いたところによると、彼女に会った時に度々話題に上がっていたホストの暴力と金銭的なトラブルが死を決意した要因の大きな部分だったようだ。
本当に殺しに行ってやるとさえ思ったけれど、仮にそいつを殺したとしても彼女は生き返らないし、そもそも死んだのはあいつの弱さから来る部分だから俺ができることなんて少なくともその時は何も無かったのだから。
だから俺はホストが嫌い。彼女を傷付けた全てが嫌いだし、そんな気配を感じたまま見てみぬフリをした自分も嫌いで、彼女が死んだ世界も嫌いだった。
二年が経過して、そう言った気持ちは少しずつ薄れてきたからもしかすると、俺の記憶の中の彼女も死が近づいているのかも知れない。
今でも鮮明に顔は思い出せるけど、これから俺の人生はまだまだ続いていく予定だから、それに応じて積み重なっていく思い出や記憶に押しつぶされて、彼女の記憶が持っていた割合が少しずつ減っていくのだろう。
二十七歳で止まった彼女は、俺が死ぬまで二十七歳のままなのだ。二十八歳になったり、還暦を迎えたりしない、毎日年齢が一日ずつ離れる関係性になってしまった。
海に撒かれた彼女はきっと、流れていって文字通り海になり、蒸発して、雲になって雨になって街を濡らすのかも知れない。
どこでどんな雨になるのかは知らないけど、いつか俺のところに降ってくれればいいのになと思う。
ついでに今の時期の、お前のせいで鬱々とする気持ちに降り注いで、流れてくれればいいのにな。
そうしたら俺もいつか雨になって、お前と降り注ぐのに。
「降り注ぐ雨になりたくて」
ぬくもり