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【物語詩】魔女のバスタイム

 私の心がそっと扉を閉じた
 手に負えない仕事 責任 負担から
 迷子になってしまった都会迷路の果てで
 夜を切り取ったような路地裏にあった露店

 レッドカーペットのような敷物の上で
 黒いフードをすっぽりかぶったお婆さん
 青白い指先をくるくると回して
 私の視界に商品を納めて


 いつのまにか帰宅していた
 掌に収まったそれは美しいラッピングで
 ここは夢の世界ではないことを誇示して

 今すぐベッドに倒れ込むこともできた
 でも夢の中に薄汚れた心を入れたくなくて
 湯船にダイブ そして包みをそっと開けた

 露店から道連れにしたのは入浴剤
 飴玉のように艶やかな林檎型のバスボム
 ゆっくりと 雫を零すように落とした


 林檎は赤く 青く 溶けていく
 私に甘酸っぱい香りを残しながら

 まずこびりついた疲労を溶かし
 まとわりつく日常を溶かし
 まろやかに私の五感を溶かしていった

 ふと子どもの頃になりたかった人魚とか
 お姫様に 急になれる気がした
 それどころか 男の子にだって

 私はフワフワと漂いながら変身を楽しむ
 無邪気に遊ぶ子どものような心地で
 最後に魔女になろうとして……はっとした


 気づけば 林檎は溶けて消えていた
 淡いパープル色のお湯になって
 夢のような泡は弾け飛んでいた

 私は残念な気持ちでお湯を掬い取る
 もうお婆さんの顔もよく思い出せない
 けれど 確かにここに魔法はあった

 まるで一筋の光のようなものだとしても

 そして 確かにここは私のいる世界
 浴室を出れば また灰色の現実もいる
 ぐっと肩まで浸かって バスタブを出た
 次こそは魔女になりたいと願いながら



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