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【体験談】私のお父さん

私の父は、私が中学2年の頃に亡くなった。
父は双極性障害など複数の精神疾患を患っていた。
当時はきちんとした病名は聞かされていなかったけれど、私の知っている父とは別の父になっていた。
家にいるのに申し訳なさそうに居場所がなさそうにしていたり、
出版社に行って自分の本を出版すると言ってみたり、
学校から帰ると警察がいて、母が慌てていて、父が失踪したと聞かされたり。
そして、父は入院した。
私は一度もお見舞いに行かなかった。
私からお見舞いに行きたいと言わなかったし、父は子どもに弱いところは見せたくないと言っていたらしい。

ある日、部活をしているとき先生に呼び出された。
「お母さんが今すぐ帰ってくるようにと言っているよ。」
なんだろう。
嫌な予感がする。
家に帰ると、母が難しそうな顔をしていた。
高校生の姉と並んで座らせ、
「お父さんがね、危ないんだって。薬をたくさん飲んじゃったんだって。」

病院に行き、個室に通された。
父が横たわっていて、その体はいろいろつながれていて、電子音が鳴ってた。
「助かったとしても、意識は戻らないでしょう。」と医師が言った。

「植物状態は困るな」と心の中で思ってしまった。
父親に生きててほしいと思えなかった。
最低な娘だ。

そして、父は息をひきとった。
母と姉は父のそばで泣いた。
私は泣けなかった。
まるで、自分がそこに存在せずに、その場面を外から見ているかのような不思議な感覚だった。

「泣いていいんだよ。」
母の優しさから言ってくれたであろう言葉が私を苦しめた。
「父親が亡くなったのに泣かないなんて心がない人間なんだ」
それが、いつまでも、今でも頭から離れない。

「父が亡くなった理由を聞かれたら、心臓が悪かったと言いなさい。」
母は私にそう言った。
当たり前だ。過量服薬で亡くなったなんて他人に言えるわけない。
しかし、それは私が私の父が亡くなったことを他人に相談してはいけないことを意味していた。

なんで嘘をつかなきゃいけないんだろう。
父は悪いことなんてしていないのに。

葬儀は身内だけで行うことになった。
まるで父の死を隠すみたいに。

なんでもっと多くの人に父は見送ってもらえないんだろう。
父の死を隠すような大人たちの対応は、父自体を否定しているみたいで嫌だった。

大人は私に父の死を説明するときに、優しいから「自殺」という言葉は使わなかった。
あくまで「お薬をたくさん飲んだから」
中学生だった私は、未熟で純粋だったから、
お父さんは苦しくて苦しさを和らげるためにお薬をたくさん飲んじゃって、死ぬつもりじゃなかったのに死んだのかな、それとも死にたくて死んだのかな、という問いを永遠に繰り返した。
そして、入院中に起きた死に対して、医療者は何をしていたのだろうと怒りのような不信感のようなモヤモヤを感じていた。

もっと私が優しくしていたら。
もっと私がいい子だったら。
そんなことが無限に頭に浮かんでくる。

それをひとりで抱えなきゃいけない。
他人に話してはいけない。
お母さんに言うと、お母さんは辛そうな顔をするから、そんな顔は見たくない。

私は、感情を凍結させた。

時間が経って、
高校生の頃、同級生の父親が亡くなった。
同級生は友達に相談したり、Twitterで父親のことを呟いたりしていて、いいなあと思った。
私なんて、父が亡くなったと言ったらその理由を嘘をつかないといけないから、そういうの面倒だし嫌だから、父が生きているように話していた。

つらいんだよ。
自殺した人はもちろんつらい。
残された片親は配偶者を亡くして一人で子育てしなきゃいけなくて、つらい。
子どもは?子どももつらいんだよ。
元気そうに見えるのはそうしなきゃいけないからだよ。
頑張って取り繕ってても心の中は感情ガッチガチに凍結させててつらいんだよ。

自死遺児の人に伝えたい。
ひとりじゃないよ。
あなたは絶対にひとりなんかじゃない。

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