齋藤史『魚歌』評:コラージュ

モダニズム歌集評第3回
底本:齋藤史『魚歌』(ぐろりあ・そさえて、一九四〇)

齋藤史(さいとう・ふみ)は陸将・齋藤瀏の娘にして、二・二六事件の中核にいた栗原中尉とは幼馴染でした。このような事情から二・二六事件に取材した連作「濁流」は第一歌集『魚歌』の中でも特に注目されています。
所属結社は父と同様の竹柏会、前川佐美雄が『短歌作品』を創刊するとそこに参加し、瀏が『短歌人』を創刊するとここにも参加しています。
戦時中に長野へ疎開し、戦後も長野に住み続け、のちに同地で結社『原型』を組織します。

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齋藤史はコラージュ的な歌作りの名手である。私たちの見ている世界に、そこにないはずのものを重ね合わせるのだ。最近の言葉を使えば、AR的と言い換えても良いかもしれない。このような歌はモダニズム期の特徴だが、齋藤史は質・量ともに群を抜いている。

指先にセント・エルモの火をともし霧ふかき日を人に交れり
岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた
霧の中にかがやかぬ灯をあざわらひわが体光をともしたりけり

指先に灯る火、両腕の帆。そうしたものが、史の目には映っている。この二首についておもしろいのは、歌の中でコラージュが動作の結果ではなく、次の動作の準備になっていることだ。なぜ火が灯るのか、腕に帆が張られるのかは説明されない。風が「さかんな海賊のうた」になるための予備動作として、両腕に白い帆は張られる。
最後の歌は、かがやかぬ灯をあざ笑うことで体光がともされる。そこに順序はあるが、因果関係はない。このように、不意に現実へ超現実的現象が配合される点に、モダニズム期の特徴がある。常識的読解を試みてはならない。私たちは、これらの歌の論理を、新たなる真実として受け入れなければならない。コラージュの真髄はこの点にある。

たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ
さかさまに樹液流れる野に住んでもくろむはただ復讐のこと

逆さまの世界では悪事が身を飾ることもある。悪のカリスマ性のようなものはもちろんあるだろう。この歌では、身に華やぎを与えるイメージが鼻歌→薔薇→悪事と二転三転する。
ところであまり知られていないことだが、樹液は地面から天に向かって流れる。植物は根から水を吸い上げ、葉からそれを散布する。これは蒸散と呼ばれる現象で、植物における血流の流れのようなものだ。「さかさまに樹液流れる野」というのは、樹液の流れがそのようになっていることを描写したものか、それとも植物が葉から水を吸って根からそれを吐き出すあべこべの世界のことなのかは判然としない。ただ「復讐」だけが、私たちの世界と主体の住む「野」を読み筋として繋いでいる。蛇足ながら私見を述べると、この歌における樹液の流れは植物の生理に基づいたものである読みを採用したいと考えている。この世界の法則を用いて歌の世界を異化する点が心地よいからだ。
さらに余談を重ねると、後年の歌に「白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼(め)を開き居り/齋藤史『うたのゆくへ』(一九五三)」というものがある。赤い目のうさぎは愛玩用の品種であり、豪雪地帯に住む野うさぎの目は黒い。それにもかかわらず、ある歌人はこのうさぎの目の色を赤と書いてしまった。これを知った史は先輩の歌人の顔を立てて特に訂正せず、ただ苦笑していた(註)。このエピソードからも、作者はある程度自然科学には明るいものとして読みたくなる。

白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう
太陽神(ジュピター)がとはうもない節(ふし)の鼻歌をうたひ出すともう春であつた
春はまことにはればれしくて四つ辻のお巡査(まはり)さんも笛をひびかす
遠い春湖(うみ)に沈みしみづからに祭の笛を吹いて逢ひにゆく

コラージュに話を戻そう。これらの歌では春の訪れが配合されている。先の二首は何かの結果として春が訪れるものである。仮名遣いこそ一九四〇年刊行の歌集なので旧仮名だが、二首とも口語で、現代の歌と見まがうほどの軽やかさがある。
後の二首は、春の訪れが舞台装置になっているものである。最後の歌は主体が分裂している。祭の笛はハーメルンの笛吹き男のようなイメージをかもしだす。主体の分裂はモダニズム期の歌にまれにみられる構造だが、自分が湖の底にいる自分自身に会いに行くことは即ち分裂した自己の再統合を暗示し、春の祝祭性を強めている。

さて、ここまでの歌は牧歌的である。「濁流」以降、歌集後半はそうではなくなる。『魚歌』を語る際に、これを語り落とすことはできない。

羊歯(しだ)の林に友ら倒れて幾世経ぬ視界を覆ふしだの葉の色
春を断(き)る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

「手など振つた」者ら「が」帰ってこなかった。二・二六事件は早春、雪の日であった。青年将校たちはまさしく弾丸に飛び乗るごとく事件を起こした。上の句の暗喩は過不足なく、彼らの営為を描き切っている。事件の顛末については、映画『二・二六事件 脱出』など、この事件を題材とした映画のどれかを参照されたい。
また「暴力」を「かくうつくしき」と描くことは、彼らの革命的ロマンティシズムに対する強い皮肉として機能している。赤子の産着の白と、暴力にまつわる血の赤が紅白の対比をなしており、イメージの面からも評価できる歌だ。
この連作以後、『魚歌』は現実と深く関わりを持つ歌が多くなる。

手を振つてあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列
黄なるけもの礎石にかくれ午(ひる)すぎは遠のいてゆく足音ばかり
額(ぬか)の上に一輪の花の置かれしをわが世の事と思ひ居たりし

二・二六事件は一九三六年の出来事であった。一九三七年に日中戦争が勃発してからは、当時の青年たちの多くが軍に召集されることとなる。短歌関係者も例外ではなく、石川信雄をはじめ、モダニズム期を彩る歌人たちも出征した。引用したはじめの二首はそれを背景に詠まれたものである。
最後の歌は読解の上で「わが世」が難しい。「わが身」ではなく「世」である。おそらく主体は異界を観ている。額の上に置かれた花は青年将校たちへの供花として読みたくなる。

引金を引くあそびなどもうやめて帽子の中の鳩放ちやれ

濁流以前の歌に上記のようなものがある。素朴な平和への願いとして詠まれたものであろう。
伝説のアンソロジー『新風十人』収録歌などを含む第二歌集『暦年』を『魚歌』と同年に出版したのち、史はこの方向に進むことなく、第三歌集『朱天』では戦争を言祝ぐ歌を作った。

史の歌集は以下のリンクから読むことができる。ただし、利用には国会図書館への情報登録が必要であることに注意されたい。
齋藤史『魚歌』:国立国会図書館個人送信サービス

註:ある歌人とは佐佐木信綱である。齋藤史インタビュー集『ひたくれなゐに生きて』(河田書房新社、一九九八)七六〜七七頁参照のこと。信綱に限らず、眼の色を赤と鑑賞している歌人は多い。

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