昭和世代の「俺たちのお陰で」は間違い

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こういう事書くと、「俺たちのお陰で今がある」とお叱りを受けそうだ
けどそのような先人論は間違いだ

なぜなら彼らは自らの労働に対して対価を受け取ってきたからだ
昭和世代は何も無償でボランティアをしてきたわけではない
労働に適した時代に労働を行ってそれに対する報酬をしっかりと受け取ってきたはずだ

10の仕事をして10の報酬を貰う
それでいて更にそれ以外のリスペクトだとかを求めるのは取りすぎじゃないか

今は例えばフォロワー数だとか視聴回数だとか、お金以外の指標も出てきたけど、当時はそんなものは無かった
だから基本的に社会への貢献度は年収だけで判断されてきたきらいがある

しかし年収というのは等価交換によって、支払われた報酬
要するに既に処理されてプラマイゼロにされた価値であって、その点に関して何かを請求することはできない

お金や報酬とは無関係のところで人知れずなにかをやってきた人ならともかく、少なくとも労働を通じての価値提供は既に済んでおり、その金を使って散々楽しんできたのだからそこから更に新たな要求を行うのはおかしい事だろう


追記 2024-06-13

前の記事で「労働にかまけてきた」と大胆な発言をしたわけだが、やはりこれは正しいと言える
そもそも自分たちで「働く喜び」だの「やりがい」だの吹聴してきたわけだ
働くことは楽しいことだと自供してしまっている
要するに楽しみながら報酬を貰っていたのであればなおさら敬意に値しない
今だと既にAIやロボットの影響で仕事からやりがいは失われているが、当時はそうではなかったわけだ
やりがいがあって更に報酬を貰っていてその上敬意まで要求するというのは無茶だろう

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