正しいよりどころをもって生きる
①反応せずに、正しく理解すること(仏教では”正見”と表現)
②三毒などの悪い反応を浄化すること(心を綺麗に保つこと)
③人々・生命の幸せを願うこと(慈・悲・喜・捨の心)
”正しい生き方”とは、上記のようなこの世界に生きるすべての人間にとって普遍的な生き方。
よりどころを持つことで、彷徨える人生を抜け出せる。
河の中にあって足場を得なければ、人は流されてしまう。
足場を得てそこに立場、もはや流されることがない。
<長者スダッタの園にて サンユッタ・ニカーヤ>
まず自分を頼れ
多くの人はお金、モノ、快適な暮らし、地位や学歴などの世俗の世界によりどころを求める。
世の中は人間の煩悩をたくみに刺激し利用することで回っている。
そんな世の中に答えを求めても欲や怒りで反応してしまうだけ。
ブッダは「自分自身」と「正しい生き方」のみをよりどころにして他のものにすがるなと伝えている。
世界に取り残されて孤独を感じる日々もあるかもしれない。
だがそんな時こそ目を閉じてみて呼吸を感じ
「みんな、いろんな思いを抱えて生きている」と非の心を向けてみる。
いつでも正しい方向を忘れない
「健康も若さもいずれは衰える。生きているということは皆死ぬということ。死ねば持ってるものも意味がなくなる。生きていることに意味はあるのか… 」
ブッダは当時王族の跡取り息子として贅沢な暮らしをしていたにもかかわらず、現代的に言えば超ネガティブに思える思考の持ち主だった。
ただ、悲観するだけでなく新しい生き方を探した。
人は何かを求めて生きている
一つは結局は喪失するもの(若さ、健康、命)を求めること。
一つはこの”喪失するもの”を乗り越えた、人間的な苦悩から離れた生き方を求めること。
ブッダは俗世間が定めた価値ではなく、本人が真に「納得」できる生き方を目指すべきだと説いた。
正しい方向性を持つことで人生に迷いはなくなる。
「この道を歩んでいけばいい。きっと納得にたどり着ける」と人生を信頼できるようになる。
「この生き方に間違いはない。いざというときは、この心がけに帰ろう」
そう思えることが最高の答えになる。
それがまだできていないのであれば今から学び、試してみて、自分自身の”よりどころ”をつかもう。
それ以上に気高い生き方はない。
(※反応しない練習ーあらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」より)
◎今日の呟き
本日で読了です。
今思い出したんですが、中学生の頃、学校の図書館に手塚治虫さんが書いたブッダの漫画が置かれてあって読み耽っていました。
ちょうど中学1年の時に父親がなくなって「人はあっけなく死ぬ。そもそも生きる意味ってなんなんだろう」と若干人生なんて意味ないと思っていた時期ですね。
懐かしいな〜。
さて、私は現時点ではニーチェの「力に憧れ、自分の良いと思うモノ(芸術)を純粋に追求していけば生の喜びを得ながら生きていくことができる」という考えを芯に置いてるのですが、それに似通った部分を感じました。
ブッダのいう「納得」がそうだと思います。
ニーチェと、ブッダの共通点は「周りは気にせず自分に問え」というところですね。
あくまで個人的な意見ですが、日本には昔から縦社会で欧米にはない年功序列もあるせいで、日常生活において不平不満が鬱積しやすいように思います。
だから出た杭打たれるではないですが、「俺は我慢してるのに何してるんだ」と言わんばかりに、同列からはみ出そうとするものがいたら足を引っ張る(SNSで言えば言葉で相手を叩くこと)のが常識になってるようにも思えます。
ホリエモンは昔から言ってます。
「周りと同じように生きてたって変化があるわけがない」
「非常識な行動をとるから非常識な結果がだせる」
まったくその通りだと思います。
また日本人の気質として完璧主義が多いし自分に厳しい人が多い。
少しずつでもいいから周りの評価を気にせず、やりたいことだけに集中できる心を養っていきたいです。
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