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多くの友を有する者は 一人の友をも得ず
多くの友を有する者は 一人の友をも得ず
アリストテレス 紀元前384~紀元前332年。
古代ギリシアの哲学者。
友人が多いことを自慢する人がいるが、真の友情は簡単に育つものではない。表面的なつき合いと友情の違いがわかっていないのだ。
今週のDAISO週めくり名言カレンダーのことば。
うーん。。これは深い。。深い。。不快。。
なんて、冗談冗談。
でも、なかなかに解釈が難しい言葉だと思います。
解説文を見れば、「まぁ、そうだけど」という気もしつつ、なぜこの言葉を選んだんだろう?という気持ちにもなります。
真の友情が簡単に育まれるものではないのは、その通り。多くの友人と広く親しむことと少ない人と深く親しむこと。私の中では、これは双方に価値があることだと思います。いずれも「多すぎること」と「少なすぎること」に問題があるように思うのです。この「すぎる」のは、人によって基準は様々です。深く理解してくれる1人で十分なこともあれば、広く知ってもらうことが必要なこともあります(政治家さんとか)。
ただ、「友人が多いことを自慢する」のは確かに「むむっ」という気がします。特にSNSのフォロワー数を自慢するのは格好がよくないし、「いいね」の数を基準に良し悪しを測るのは適切ではないと思います。ただ私だって「〇〇さんと知り合いなんです」とか「⬜︎⬜︎先生とご縁をいただいたことがあって」なんて挨拶することもあるし、時には関係者“風”を装ってしまうことがあります。それは、あまり格好良いものではないし、しなくて済むならしない方がスマートだな、と思います。
ちなみに、京都教育大学の伊藤悦子さんという方が書かれたLIBRARY NEWSでは、『友情の哲学 緩いつながりの思想』藤野 寛(著)を推薦するにあたり、このように書いています。
「友情を定義するために選択されたのはアリストテレスである。友情は「良さ」「快さ」「有用さ」によってはぐくまれ、「本当の友情」「完全な友情」と質量が試される。友情の構成要素は「他者に惹かれること」「相手のために良かれと願うこと」「双方向的であること」「双方ともに気づいていること」である。
なるほど。確かに「本当の友情」「完全な友情」と言われると、「それは簡単ではないよな」と納得しました。とはいえ今のご時世、自分の思ったことを素直に表現することにも難しさや躊躇いが感じられることもあると思います。匿名であるはずのSNSでも、特定されることが多々ある訳で・・・。職業柄、守秘義務についても「正当な理由なく」ってどこまでなんだろう?と感じることがあります。この曖昧さが苦手なのも私の特性なんでしょうね。
ひとまず、友達について考える機会をもらったのでメモしてみました。