子どもとの会話:スマホゲームとの付き合い方


最近、小学生の息子がゲームをしています。

 ゲームにはスマホゲームやテレビゲームなど以外にもカードゲームやボードゲームもあります。
 私が尊敬する友人はバックギャモンという”すごろく”の凄い人で、バックギャモンは呼び名は違うのでしょうが大河ドラマ「平清盛」にも、同じ盤面で勝負している様子が描かれています。将棋や囲碁、麻雀など知的ゲームであれば、親として「子どもに勧めたい」と思う反面、花札だったら「なんか、賭け事くさい??」とちょっと不安に感じてしまいます。
 テレビゲームやスマホゲームについては「あまりやり過ぎてほしくはないけど、ある程度は仕方ないかな」という感じで、約束事を決めていて”うまく付き合ってほしい”ものでもあります。とはいえ、決めた約束事を守れない時もそれなりにあり、「どこまでのルールの逸脱を許容するか」・「他者の行動を制限するのは難しいな」と思います。
(自分自身の行動を律することも十二分に難しいのですが・・・)

 「スマホ依存になってほしくない」というのが核ではあるものの「視力が悪くなったら嫌だな」とか「身体を動かす活動もしてほしいな」とか「ゲームをするのも悪くないけど多少は勉強してね」といった様々な気持ちがあることに気づかされます。親が抱く気持ちを”親心”と表現するのであれば、親心ではありますが、親という側面を持つ私個人のエゴでもあるような、そんな感覚もあります。実際、私は子供の頃にはゲームばっかりやっていて、それを咎められるのが嫌だったので。

我が家では、「子供だけでスマホアプリをインストールしない」という約束をしているのですが、次々に「これを入れたい・あれを入れたい」と相談があります。私の世代はファミコンが出始めた時代であったため、新しいゲームなんてそうそう手にすることが出来ず、一つのゲームを何度もやった記憶があります。スマホもなかったし動画配信もなかったから、退屈を感じながら同じゲームをやったり、同じマンガを読んだり。将棋やマージャンをするにも一緒にしてくれる人がいないと難しいこともありました。でも、それはそれで選択の余地が少なくて「良かった」ようにも思います。今はスマホ・タブレットでもいくらでも動画コンテンツがあるし、オススメされたら「断らないといけない」という作業が生じます。そう考えると、今の子供たちはある意味で過酷な環境で育っているんだろうな、と思います。

 ちなみに、次々にゲームを変える息子くんに理由を聴いてみたところ、「最初は面白いけど、結局すぐに勝てなくなるじゃん。それが面白くない」とのこと。そうなんですよね。「ガチャ無料」とか「〇〇が当たる」というサービスで顧客を引き付けても、自分だけが強くなる訳ではなくて、結局のところ課金する人(課金者)が有利であるのは間違いない。ゲームを開発・販売する会社は仕事として収益を得るための活動をしているので、課金してくれる人を優遇するのは当然です。同じルールで対戦しているように見えても「勝負する前から課金者と無課金者は平等ではない」ですよね。その点で、カードゲームやボードゲームとは違い、「歪なゲーム」であると私は思っています。

そのため、子どもには折に触れてこう言うようにしています。
「スマホゲームでは無課金者は課金者のエサになるため存在している側面もあるんだよ(皮肉)。ものすごい時間をかけたら勝てるかもしれないけど、その時間を費やしてまで勝ちたいと思ってしまったら、依存症の入口かなと思うんだ。今の自分の時間をどう使うか、イライラしてまでスマホゲームをする必要はあるのか、考えてほしいな」と。
多少のきれいごとを含んでいますが、そんなことを思うのでした。

*この記事は個人の見解であり、所属組織や法人の意見を代表するものではありません。

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