30歳の誕生日に。
2日前に、30歳になった。
じつに10年ぶりに、2桁目の数字が変わった。(無論、9年や11年で変わることはない。当たり前である。)
わたしは毎年、Facebookに誕生日記念の投稿をする。
いつからはじめて、いつから例年行事化したのかわからないけれど、10年前にも「お誕生日投稿」をしていたのは確かだ。ご丁寧に、Facebookが「10年前の今日」みたいな機能で教えてくれた。
それこそ最初は日記的な「こんな誕生日を過ごしました、ありがとう〜」みたいな内容だったけど、ここ数年は、その年その年の感じることや考えることをちょっとまとめる機会になっていた。
見返すとやっぱり恥ずかしいけれど、記録をつづけていくことに意味を感じている。
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だけど、正直ことしは迷った。
何を書くか、何を書かないか。いっそのこと、何も書かないか。
たくさんの友人たちのいるあの場所で(むしろ友人たちに「いまのわたし」の様子を伝える手紙の役割もあったのに)、いまのわたしが感じていることや考えていることの、どこを語れるだろうか。
迷った挙げ句、ほとんど当たり障りのない文章を投稿した。その当たり障りのなさ、すなわち、自分を差し出すことができなかったこと、自体を記録として残すことにした。
こんな感じで30さいになるとは、露にも思っていなかった。
いやまあ、この夜中にダブルクリームシュー食べながらつらつらと、なに深刻ヅラしてんだよって感じだけどね。(普段はカスタードのみ派なんだけど、今日は生クリーム食べたかったの)
絶不調に入り、まもなく2ヶ月。
過去に2回の休職経験があるが、今回はそうはいかない。いまやわたしゃフリーランスなのだ。個人事業主なのだ。
そう、業務委託契約なのだ!
どこからも傷病手当金はでない。お医者に「診断書書きましょうか?」って言われたって提出する先はない。ちなみに医者にはもう行ってないからそもそも診断書もくそもない。
てめえの心身の健康はてめえで維持するのが当たり前です。
と、絶不調なりになんとかやっている。
なんとかやっている、って言ったってわたし的にはローパフォーマンス極まりなくて、おしごと一緒にしているメンバーには申し訳なくって、日々ディスコードでは合掌マークのスタンプばっかり送っているのだが
「ちょっと、今後の契約のことで話をしようか…」
って声はかけられていないから、まだなんとかやれていると言っていいのだろう。
って感じで、仕事はなんとかやれないながらも、なんとかやっている、この絶不調期間。
自分の内側はいかがだったかと言えば、何も感じていないわけでも、考えていないわけでもない。はじめて「うつ」と診断された当初は思考がままならない時期もあったけれど、そうではない。
むしろ毎日、感情に、思考に、飲まれ、飲み込み、泳ぎ、溺れ。
涙を流していない日はいつのことか。問答の日々である。
実名で残しておくのは憚られた、差し出せなかった自身を、ここに置く。
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愛せよ。
自分への厳しさを手放して。あるがままで十分である。
息を殺していた怒りにも居場所を。ちゃんとわたしの中に流れるように。
愛せよ。
わたし、わたしを愛したい。
どんなわたしも、愛したい。
そんなわたしで、隣人を愛したい。
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今日こそは日付が変わる前におふとんに入りたかったけど、仕方ないね。
きっとさっきのダブルクリームシューもだいぶ消費されただろうから、良いってことに、しようね。