温度は、見えない「ありがとう」。
はじめまして。チーム・ヌカモフ3番手、ヘラルボニーの佐々木めばえです。
今回のヌカモフプロジェクトでは、縫製してくれる福祉施設を探したり、発注やその後のやり取りを担当しています。
もっと知りたい、じぶんの中の”目に見えない”こと
大学では学校の先生の教育課程をとっています。なぜか幼稚園の頃からずっと先生になりたいと思っていたんです。弟が6個下にいて、自分も子どもなのに子どもが好きだったんですね。
特別支援教育に興味を持ったきっかけは、高校に入って自分が発達障害と診断を受けたこと。でも中学生の時は同じお医者さんから睡眠障害と診断を受けていたのでズレを感じ、「あれ?違うな。どうしてかな」って思って聞いてみたんです。
そうしたら診断名は薬をもらうための切符みたいな感じで必要なんだと言われて、もちろんお医者さんは私のことを分かって診断を出していると思うんですけど。
自分がそこで思ったのは、診断名が大事なんじゃなくて、自分がどういう状態であるかが自分でわかって、何かしたいと思ったときにどんな障害を感じるかっていうのが大事なんだと思って。
でも障害名を言われちゃうと、ずっとそれで規定されちゃう。障害名をいうっていうよりは、具体的なアセスメントを分かりやすいように伝えてもらったほうがよかったと感じます
そんなふうに自分のことをもっと知りたいなと思ったことで、より教育への興味が増したことが今につながっています。
“適応”じゃなく“解放”へ
一言で言うと、“適応”じゃなくて“解放”することをしたいなと思っています。
どうしても、「システムに合わないから障害」というふうにされることが多くて、システムに合うように=「適用するように」しようという考えは研究も実践もたくさんされていますよね。
じゃあシステムに合わないから障害とされた人の持ってるものって、本当に全部悪いものなのかな?って。
それはそうでもないかもしれなくて、すごく魅力的なところだったりとか、すごく力のあるものだなって私は思うんです。
それ自体が障害というより、環境がどうなるかで障害になる可能性もある。
でもそれはグラデーションだから、どこに位置しているかによって線引きできるものではないし、みんなに関わることだって。
そういうものが“適応”だと尖ったところが削られちゃって、ユニークさがなくなっていってしまう。自分はそういうのを“解放”というか、持っているものを活かす形でもっていけたらいいなって。
例えば知的障害とされていたのを開けてみたらめっちゃ面白いものが出てくるかもしれない。それは他の様々なラベリングがされてること全部そうだと思うんです。
「外国人」だってそうだし、もしかしたら「佐々木めばえ」もそうかもしれない。
だからそういう意味でも“解放”ができたらすごく楽しいなって。そういう場づくりだったりとか、そういう考え方を実践を通して伝えていけたらいいなと思ってます。
今は具体的にそれを今形に落とし込んでるところで、私は結構抽象的に考えちゃうので、それは人の手をたくさん借りたいと思ってます。
温度が上がるとき
言語じゃない言語で分かり合えた時、「そこにいてくれてありがとう」と思うような瞬間です。
昔休学中にアメリカで自閉症の人たちが参加するキャンプに行って、この間もへラルボニーの出張で福島県の福祉施設に行ってきたんですけど、そういう場ではコミュニケーションの方法が違うので、分かり合えないわけではないんですけどすごく時間がかかるんですね。
あ、こういう仕草はきっとこういうことを伝えたいのかなとか、ひとつひとつ見つけていくんです。それこそ日本語とか英語とかジェスチャーとかじゃない、ふたりの中でしか分かり合えない言語をお互いに見つけていくしかない。
キャンプで出会ったサムは言葉が話せないので、文字を打っては音声ボタンを押してタイプライターに喋ってもらうっていうコミュニケーション。
タイプライターが使えない場面では、彼がどんなことを思っているのかあまりよくわかりませんでした。
でも一緒に過ごすうちに、楽しい時と悲しい時の笑い声が違うことに気付いて、声の質から気持ちが分かるようになりました。
それはサムと私の中にしかないコミュニケーションで、今、絶対こう思ったよね!って、繋がりあえたような気がする瞬間がたまにあって、そういうときはすごく嬉しかった!
「悲しいときは笑わない」って思い込みもサムのおかげで壊してもらったな。
もう本当に「生きててくれてありがとう」と思えるくらい、その人の存在を愛おしく思ったときに身体が熱を帯びるというか、温度が上がるなと。
話してると今も少し顔が熱くなるような気がします。
福祉は別の世界のことじゃない
今回縫製をお願いしたNPO法人のハートネットあびこさんでは、障害のある利用者の方に仕事をお願いしています。
「なるべく、米ぬかの袋詰めが得意な人には袋詰めをお願いして、縫うのが得意な人には縫うのをお願いしてやってみますね」と引き受けてくれて、その後も「利用者のみなさん楽しんでやってるのを見て、仕事を受けて良かったです。」とご連絡をくれたんです。
ヌカモフは「人が作ってる」ってところも含めてすごくいいなと思います。
全部手作りなんですよね。
入っている米ぬかやお米も心を込めて手間と時間をかけて作られているし、スリーブもミシンでひとつひとつ縫ってもらってるし、機械でやってるところ一個もないんですよね。
ヌカモフを使ってくれた人が直接福祉と結びつくってわけではないかもしれないけど間接的にでも繋がりがある背景を知って、その上で「いいね」って思ってもらえたら嬉しいです。
なかなか福祉施設でやってることを知ることってないし、世界が違うような気がしちゃうんですけど、でも実は人間としての本質的な部分を彼らはすごくわかっているような気がしてて。
そういうところをヌカモフやMUKUのネクタイからどんどん伝えていけたらいいなと思います。
目に見えない価値
最近両親がすごく疲れてるような気がしてて、「全然そんなことないよ」と言うとは思うんですけど。
でも1日の中でホッとする瞬間があってほしいなと思います。いつもしている方法じゃなくて、また新しい方法でホッとできる瞬間があるといいなと思うので、父親や母親に使ってほしいです。
ヌカモフすごくいいなと思うのは、生き物みたいなあったかさでそれが嫌じゃなくて、ずっとここにいて欲しいなって。猫が肩に乗ってるみたい。顔をうずめたくなりますよね。
ヌカモフは目に見えない価値がいっぱいあると思うんですよね。手作りっていうのもそうだし、人の手が本当にたくさん入ってるし、背景にもたくさん目に見えない価値がある。
温度とか香りとか目に見えないけど身体が確かに感じるものなので、無意識のうちにすごく影響されてると思う。
言葉よりも体感してもらった方がいいと思うので、手に取るのがほんとうに大事だと思います。
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