言葉の重力
フィールドワークでの経験から、私は「言葉の重み」を考えるようになりました。
私の考える言葉の重みとは。
このように具体化できます。
1. 自分の紡ぎ出す言葉に責任をもつこと
今まで私は「きれいごと」を言うとき、自信をもって言葉を発していました。
なぜなら、「きれいごと=一般的によいことだと思われていること」を言っているので、私が何も考える必要がないからです。
また、「きれいごと」は、既にだれかによって言語化されています。
フィールドワークで自分の想いや考えを口に出すとき、「きれいごと」ではなく、自分のもっている言葉で頭の中にあるものを言語化しなければなりませんでした。
きれいな部分だけではなく、自分が悔しかったこと・マイナスに心が動いたことなども含めて話していたので、言葉を「発する」のではなく、「紡ぎ出す」感覚でした。
それは、とてつもなく重力を伴って紡ぎ出すものであり、自分でも苦しくなることが多々ありました。
また、フィールドワークが終わった後、「きれいごと」を夢として語る人の話を聞いたのですが、その「きれいごと」がどうにも浅薄に聞こえてしまいました。
自分自身も、人に何かを伝えようとするとき、「どうして私の言葉はこんなに軽くてペラペラに聞こえるんだろう」と疑問を抱くようになりました。
それは結局、だれかの言葉を借りて、それをそのまま発することが当たり前になっていたからでした。
自分で言語化したものに責任をもつことで、それは自分の言葉となり、質量を得るのではないでしょうか。
2. 言葉を選択すること
言葉は無限です。
その無限の中から、自分がしっくり来る言葉を探し出す作業。
それは途方もなくて、でも同時に自分と対話する・心の動きを見つめる作業でもあります。
例えば、演奏を聴いて感動して「演奏すごくよかったよ!」とだけ言うと、そのメッセージを考えるのにかかる時間はわずかですが、どうしても私の感じた心の動きは伝えきれませんし、紙切れのように薄っぺらい言葉になってしまいます。
「曲やフレーズの最後の音がホールに響き渡って消える最後の瞬間まで、暖かさが会場全体に広がって、私の心にもその温かさが広がる感覚がした」
「奏者の想いが音に乗って届いてきたと感じた」
「演奏がよかった」は、これらに置き換えることができました。
これで、厚紙くらいには質量が増したのではないでしょうか。(依然、厚紙程度までしか重みが出てこないレベルですが。)
このように、心の動きをズバッと表す言葉を探すのは、時間がかかります。
選んだ言葉に心の動きがのっているからこそ、言葉をつなぎ合わせるときに重みが発生するのです。
3. 言葉の意味を考えること
普段何気なく使う言葉1つ1つにも、意味があります。
その意味を考えずにいると、いつの間にか自分の言葉が軽くなってしまう気がします。
例えば、「エモい」という言葉が流行っていました(今も流行ってるのでしょうか?)が、その「エモい」ってどういう意味なんでしょうか。
「エモい」と一言で表せば簡単かもしれませんが、その言葉を使うことで真意が伝わらなくなったり、そのとき感じた感情を「エモい」で蓋をしてしまったりするのではないでしょうか。
フィールドワーク以降、言葉というものは思った以上に奥深いと実感しています。
言葉にも重力があったんだ。
それと同時に、人に本当に伝えたいことを、薄っぺらくてありふれた言葉でしか伝えられない自分に悔しさを覚えます。
本を読んで、語彙力の筋トレをしたいと思います。
余談ですが、フィールドワークの初日から今日で一か月が経っていました。
時の流れが早すぎて焦っています。