2種類の大人

昨日9/19、久しぶりに大学に行きました。
あるイベントの打合せがあったのです。

大人の方もいらっしゃったのですが、久しぶりに「なんかもやもや」した。
そのもやもやを言語化していこうと思います。

私は学校に行くと必ずもやもやします。
それは、あるタイプの大人と接するときです。
(もちろん同年代の大学生と接するときもですが、それはまた別の話題として考えるつもりです)
過去に遡ると、私は小学校高学年からずっと、「先生」や「大人」という存在に対してもやもやしてきました(大学生になった今も現在進行形)。

その「もやもや」の正体とは。
反抗心??なのかなと思っています。

具体的に言うと、「大人と子ども」、「教えると教えられる立場」など、上下関係を前提にした関係で、言動から「~~してあげている」を感じるタイプの「大人」に反抗したくなるのです。

・私が子どもだから、先生が勉強を「教えてあげている」
・私が大学生だから、大人が「支援してあげている」
・私が大学生として頑張っているから、大学が「支援(広報)をしてあげている」

「大人と子ども」や「先輩と後輩」、「経験者と初心者」など、立場は色々あれど、そこに優劣も上下関係もないのでは??


そういえば、大学1年生のときに受けた臨床心理学の授業でも、同じようなことを学びました。子どもと心理学の関係がテーマの回で、その時のノートには
「子どもの自然体を見るには、子どもと同じ目線で、あくまでも1人の人間の接するように一緒に遊ぶことが大切だとわかった。」
と書いていました。

フィールドワークで「国際協力」についての講義をお聞きしたときも、講義をしてくださったアムダマインズの方が同じことをおっしゃっていました。
アムダマインズさんはキーワードとして、「援助を受ける側にもプライドがある」を掲げているそうです。
支援をしているから立場が上と考えてしまいそうですが、そうではなく、支援をする人もされる人も、対等な立場なのです。

「~~してあげる」タイプの大人と対照して、もう一種類の大人は、私や子どもと同じ目線で物事を一緒に考えてくれる、「一緒に~~しよう!」タイプの大人です。
私にとってNestのみなさんは、「一緒に!」のタイプの大人です。

例えばそれは、私の拙い考えを聞いてくださって、「それは○○ということ?」「それって具体的に叶えるためにはどうすればいいと思う?」など、考えを深める問いかけをしてくださること。
例えばそれは、夜中の12時近くまで「一緒に授業考えよう!」と話し合いに付き合ってくださること。
例えばそれは、写真に撮るときに一緒に全力でふざけてくださること。
例えばそれは、noteをやりたいと言った私に「一緒にやろう!」と背中を押してくださること。

「私が楽しいからやってるんだよ~」と、かなめさんもぽんさんもなぽさんも当然のようにおっしゃっていますが、今までこんな尊敬できる大人に出会うことが少なかった私にとって、「私もこんな大人になりたい!」というロールモデルができました。

もう20歳を超えた私ですが、どうせ大人になるなら(というか私は大人になりたくないので、「大人にならないといけないなら」の方が適切か)、「一緒に~~しよう!」と等身大の自分で人や物事に向き合うことのできる大人になりたいです。

学びってつながってるんだな~。


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