真面目な日本人
日本人の真面目な人ほど、自身の弱いところは認めながら、強みを活かすのが下手だなと思う時があります。真面目な人ほど完璧を求めすぎて、結局のところ息切れしてしまうことも多いのではと思うのです。わたしは、超氷河期世代のいわゆる今なにかと問題になっている世代なだけに余計思うのかもしれません。
我々世代の教育は、体罰禁止、廊下に立たせる、坊主強要ではない時代ではありましたが、クラブ活動における意味不明な先輩からのいじめなどはまだありました。
先生は尊敬される存在であり、教え方がどうとかはあまりまだ言われることは少なく、たまに問題になっている先生などは風の噂で聞くことはあっても、あくまで先生という立場は尊重されていた気がします。
また勉強ができる頭が良いは、あくまでテストの点が良いことが指標であり、偏差値以外の指標というものもあまりなかった気がします。
子供が多い世代なので、受験は厳しかったにもかかわらず、景気が悪くなり就職まで苦労するというとても残念な世代を生きてきた我々の世代は、現在色々疲弊している人も多いなと思います。
そんな世代の人間からみて、短期的には、パワハラ、逆境にも打ち勝つ精神力、根性、気合が大事だという考えを教え込まれたところがありました。また、真面目な人ほどそれを信じて期待に応えるために頑張り続けてた人が多いと思います。しかし、それは今の時代は通用しなくなりつつあり、結果、長期的には、丁寧、歩み寄り、共存、弱いところは、みんなでカバーしながら、個々の強みを生かす生き方の方が良いのではとおもっています。
思い込みかもしれませんが、日本人は真面目な人が多いと思います。また、真面目な人ほどいま息切れをしてる人も多いと思います。
そんな人からしたら、以前書いた
あいつはすごいんだ!
お前はすごい!
のような褒め方はいい加減だ!
という方もいらっしゃると思うのです。
しかし、真面目な人、杓子定規な人ほど、まずは、そのいい加減さを真似してみるのもいいのでは?とおもうのです。
いい加減
良い加減になる
ときもあると思います。
真面目なのは良いことだけど、息苦しいし、相手も疲れさせると思うのです。
適当に手を抜くことも大事ではと。
日本語教師を目指している方、実際に先生をされている方は真面目な方が多いなと思っているので、書いてみました。
真面目なのもいいけど、たまにはいい加減になることも良いのでは?
今日のビールです。
島根のビールです。