ひとやすみのための刺繍
何年か前に、仕事で朝早く訪れた場所で
到着した側からちょっと体調が悪くなってしまったことがあった
寒い冬の朝で、慣れない場所
緊張もあって早めに到着したのはいいけれど
若い時からずっと抱える低血圧からくる不調で
めまいとどうにもならない気持ちの悪さで参ってしまった
ものすごく楽しみにしていた日にもかかわらずそんなことになってしまったことに自分でもがっかりしてなんとも暗い気持ちになった
体が液体のよう
あの頃病院で、自分の状態を説明するときに口から出た言葉は、今思い出してもまさにその通りと思うほどしっくりとくる表現で、出先で突然具合が悪くなったりするから当時のわたしは子育てと日々のスケジュールに毎日が綱渡りのようだった
いつしか少しずつ元気になって、一日にいくつもの用事を掛け持ちしたり、少しくらい寝不足でもどうにか予定をこなせるようになっていたのだけれど(バレエや、ドロとの散歩が大きかったのかなぁと今にして思う)それでも数年に一度くらいは「あぁ、あの頃みたいだ」と思う、ガクンと突然具合が悪くなることがある
温かいものを飲んだり、少し塩を舐めてみたり
横になってとにかく少しじっとしてみたり、お風呂に入ってみたり
体が血の巡りで無理なく動けるようになるまでいろいろとやってみるしかない
その朝、そんなふうにちょっと様子がおかしいわたしに、開店の準備をするHさんが
温かいお茶を出してくれた
具合が良くないというわたしに、落ち着いて、静かに、わたしが自分のペースで調子を取り戻せるように。。くらいの距離感で、そっと温かいお茶をテーブルに置いてくれた
ふわりと柔らかな布のコースターに置かれたお茶を手に取って、ゆっくりと飲んでカップを置いた
お茶はやさしい香りと合わせて目の奥や頭の中から指の先までじわじわと染み渡るようで、ゆっくりと温かいカップを両手で包んではその度にコースターの上に置く
「どうぞ、ゆっくりと休んでね」
という心遣いを、お茶はもちろんのことその優しく受け止めるお布団のような感触からも感じられた
テーブルにコツンと置くのではなくて
しっとりと受け止めてくれる感触
それは、毎日使われて、カップを受け止めるラインもなんとなく決まっていて収まりがよくて
それが「安心」のような、そんな気がした
こうして毎日
来られたどなたかに
「どうぞ、ゆっくりしていってね」
とその温かなひと時を受け止めてきたとわかる
いつかわたしもこんなふうに感じるものが作りたいなぁと思ったことをその時の薄暗い店内や自分の体調の不安もセットでとても良く覚えている
その後わたしは他の方々が来られる頃には回復して楽しい店頭でのいちにちを無事に過ごした
コロナの直前の冬の思い出
あれから何度か小さなコースターを作ってみたのだけどイメージに合わずずっと保留にしていた
どうぞゆっくり休んでね
そう伝えたくて誰かの前にふわりと差し出せたらいいなぁ
もしくは
あなたのひと休みに使ってね
と贈るのもいい
わたしのひと休みに使いたい
もいいな
とにかくここに、冬は温かさをすこしでも長く、夏は冷たいグラスの水滴を受け止めて
飲み物や少しのおやつを置いて
ひとときを過ごしてもらえたらなぁと
端っこに刺繍をしたマットを作りました
お洗濯できるように芯は糊のついていないものにして重ねて刺繍しているので洗ってもまた整えて少しアイロンをかけたら大丈夫
カップの跡や、お茶のしみがついて
それはきっとわたしが感じた「日々のこと」を思わせる安心になるのかなと思います
いろんな日々を受け止めて、風合いも変わっていくのがいいかなと思います
何か話したいことがあってやってきた友達に
ちょっと疲れて帰ってきた家族に
なんでもない一日の終わりに
仕事の合間のおやつ時間に
お茶を淹れて
ふわりと置いてくれたらいい
ちょっとゆっくりしなよ って