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【運ゲー社会】運とはズレである

運の良し悪しなんてものはない
運が良い様に見える人は適応力が高い人である
自分の構成要素を把握せよ

"運が良い/悪い"という定義自体が曖昧かもしれないが、曖昧で良い。曖昧、漠然とした変化に適応できることが人間の、動物の力だからだ。

運が××というとき、そこにはそれまでの道があり、我々はその流れを読んで適した行動をとっているし、流れの先を見て期待や危険予測をする。その先が想定より、かつ思わぬことをきっかけに上振れたり下振れたりすると運の良し悪しを感じる訳だ。

人は物事の重要さに関係なく流れをある程度考えているもので、それらが激変するとも考えない。しかし物事というのは自分の手以外のことが多く関わっているため、実際には結構ズレていたりする。それに気づかなくても流れにたいして無意識に適応し変化に自覚なく過ごしている時もあれば、意識的に対処する時もあるだろう。要するに運とは良し悪しに関係なく"ズレ"を指しているのだ。

人は普段ズレを強く意識しない。しなくなっていくというのが正しいだろう。携帯のフィルム、歩幅、音程、折り目等あらゆるズレを常日頃意識していては自分の身が保たないからだ。では運が良いように見える人たちはなんだというのか。それは自分の構成要素を把握し、守り、ズレに適応できるからだ。

あなたの今はどのように構成されているか自身でわかるだろうか。治安、髪型、立ち姿、声色、安定した住居、習慣、意図的な自己表現、必要程度の健康、特技、話相手、人間関係の立ち位置等々、あなたが生きるためにはたくさんの物事や関係で構成されていることだろう。その中で自分が自分たらしめるために強い効果を発揮しているものはなんだろうか、まず今の自分はどうあって何をしていれば自分でいることと認められるのだろうか、考えることはたくさんある。

自己啓発本を読んだり就職活動をする以前からこのような自己分析やメタ認知は生きていく上で必要な時代になっている。自己構成要素を把握した上でそれらの期限を把握し守ったり入れ替えたりする努力は不運を呪うことより先にやるべきことだ。本当に必要なこと、もしくは自分が強く求めていることについて他人の手が強く絡んでズレ頼りになってしまうようでは自分に問題がある。自分も知らず、自分を活かすズレなのか壊すズレなのかもわからないまま結果だけ見て後付けで運が良いだ悪いだなんてのは話にならない。

厳しい言い方になったが、要は「うわ〜続けてればめちゃくちゃ得したな」ということは数年単位でよくあるのだから、自分がやりたいこと、必要だと思ったことにはできる限り少しでも力を注いだ方が良いということだ。自分がわからないままでは「やりたいこと」が気分なのか自分の傾向に沿っているのかもわからないし、そのような状態では続けられることも続けられない。それが時が経ちズレが起こった時に活かせたはずだったと後悔することになる。だから続けられそうなことや自分の本心には多少妥協してでも続けて沿っていこう、それに運なんてものはただのズレなんだから呪う程の物ではない、呪う程に頼っている自分のおかしさに気づいてほしいという話だ。

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