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勉強法を調べた後に

結局たくさん勉強し勉強できる時間を確保する努力が目的達成への決定打
勉強法とはその名の通り勉強時のルールを指す。つまり勉強内容を縛るものではない
世間は日々の学びに規則性を持たせることと規則に基づいて学びの始まりから終わりまでを一本道にすることを混同しがち
現代人らしく色んなアイテムを使い慣れていこう

僕らを取り巻く勉強の環境は情報過多のひとつに尽きるだろう。新書の類が除外された上で死角をも埋め尽くす参考書の数に集団、個別、個人、オンラインなど様々な特色や形態を持つ予備校と塾の数々、たくさんの体験談、いくら見てもキリがない。

発信者が集まると仕方がないことではあるとはいえ明確な区別もなく一括りにタイトルをつけられて混同してしまう問題もある。それぞれ発信に至るまでのバッグラウンドが違うとはいえ、それらが詳しく伝わってないように思える。今回はそのひとつのタイトルである「勉強法」について見てみよう。

勉強法について区別してみると、

「テクニック」
「タスク管理」
「推奨参考書」
「参考書の使い方」
「トレーニング」

などで構成されていることがわかる。

ポモドーロテクニックや手書き/暗唱派閥などはテクニックであり、復習の仕方や参考書を特定の期間で行う等の指示はタスク管理にあたる。特定の技能を高めるためのテクニックはトレーニングという方が近い。

教育系Youtuberは私塾を構えていることが多い。私塾というコンテンツをメインに一通りの話をすることを「(特定の教科)の勉強法」と述べる場合が多い。その際、その人らに教わる予定のない人たちは発信内容の中身を区別して情報を抜き取っていかねばならない。勉強法の中に参考書の使い方を指しているものもある。

次に「量と質」について。集中した状態で取り組むと質が良いというひとつの一般論を挙げる。これは現代日本人的に集中力云々というのはナンセンスである。次に記憶力についてもそうだ。確かに記憶力は何かを覚えることにのみ有効なのではなく「昨日解いた問題について昨日の自分はどう考えたか」を再現できる度合いすらも変わる。

集中力も記憶力も上位数%というレベルであるに越したことはない。ただ視野を広く持ってみよう。自分が考えていることを書き出すのでは追いつかないと思うのなら録音してはどうだろうか。録音は記憶力を補い記憶を強めることもできる。また発音するというアクティブな動作を強いられるので集中力の低下を抑えてくれることにも繋がる。

人類は人体の代わりまではいかなくとも補助となる器具を作り出してきた。今は思考(脳)の補強ツールを作り出そうとしている。足りないものは器具で補うのが現代日本人らしい生き方ではなかろうか。

但し、器具を使うのには慣れがいるのでそのための時間も必要となる。何事もそうだが慣れ親しむまでの時間はあった方が良い。

そういう意味で量と質の二項対立はあまり意味をなさない。二項対立に極論を付してくる存在も意味がないとまで言える。この考え方は仮に1を知り10を知る人を羨むのではなく自分が知れる量を補っていこうという考え方だ。

勉強は色々要素があって大変だと思う。勉強が好きな人でさえやりたくないことはある。調子が良いときは次の日が大変になるような量をやりたいときもあるだろうし、全くやりたくない日もあるだろう。

それらを受け入れてルールを敷くことで一定の成果を担保しようとすることが勉強法である。その形は様々なので自分で調べるなり編んでみるなりすると良い。

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