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背景ゴッホ様(短編小説)
概要:ハンドメイドマーケットにたった一人で参加した瑠以。しかしあと一時間というのに、自分の作品は全く売れない。自分の世界観が周りに受け入れられていないと感じた瑠以は、孤独感を感じるが…。誰か一人にでも自分の世界が刺さるだけでもいいじゃないかーーー生前一枚しか絵が売れなかったという、あの画家のように。
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「いらっしゃいませ!」「こちらいかがですか~」「この商品おすすめでして…」「売れ筋なんですよねこれ」「お似合いです~」「どうもありがとうございました!」
県内一の大きさを誇るドームに、様々なハンドメイド好きが雪崩のように押し寄せ、手作りの店がが千店舗以上ひしめき、沢山の売り込み文句が怒涛のように飛び交う。ある人は客の親子に気さくに話しかけ、親子共々商品を売りつけようと必死だったり、ある人は接客に追われながらイライラを隠していたり、ある人はもう売るものが少なくなりその日の売上を舌をペロリとなめて計算していたり、様々に自分の手づくりの店を売り込んでいた。
その中で、たった一人で初めて参加した町川瑠以は、もうあと一時間でハンドメイドマーケットの終わる時間になることに、焦りと寂しさを感じていた。せっかく昨晩の夜中までキャリーケースに詰め込み作業をしていた商品達が、たった一個も売れていないのだ。瑠以は、このまま一つも売れず家に帰ることになるとまでは想像もしていなかったため、泣きそうな気持ちだったが、何とかそれを隠し「いらっしゃいませ~」と今までよりも気持ち大きめに呼び込んだ。
このマーケットの参加費は一日で七千円だった。瑠以にとっては、このハンドメイドマーケットがある意味”賭け”でもあった。何しろ瑠以は一か月に三万円しかwebライティングで稼げていない引きこもりの在宅ワーカーだった。そのため、この七千円はかなり痛手ではあった。が、売れればまあ儲けはする。それくらいの数は作っていたはずだった。
昨日の瑠以は、自分の作品がどれくらい売れるだろう、どんな人に買ってもらえるだろうと淡い期待を寄せながら、一日かけてラッピング作業とレイアウトの準備を黙々としていた。瑠以が作ったのは目玉が棺桶に入ったブローチや、付け衿、その他粘土で作った目玉のアクセサリー、目玉型にビーズ刺繍をしたブローチ、自作の絵をコンビニで印刷したポストカードなどである。屋号としては、瑠以の大好きなモチーフを名前に込め「目玉亭」とした。ディスプレイには、目玉の絵や、目玉のボールを貼り付けたりと、色々それらしい工夫をしていた。
朝十時から十六時までやっているそのハンドメイドマーケットでは、実に多種多様なお客さんが来ていた。
「いいぞいいぞ」
マーケットが始まって初めに瑠以の店に興味を示してくれた、ヘッドドレスにフリフリのピンクのスカートを履いたゴシックロリィタ風の二十代後半くらいの女性が、瑠以は忘れられなかった。瑠以が作ったものは、いわゆる”原宿系”や”サブカル系”だったため、この方に刺さったのだろうかと思った。瑠以も一応今日の服装は自作のゴシックロリィタ服だった。瑠以は「同志が来た!」と素直に嬉しくて、その人に「ありがとうございます」と小さく言うと、彼女はマスクの下でゆるく微笑んだようだった。彼女が去る際、バッグには赤地に白い十字のヘルプマークが揺れていた。
高校生から鬱病を持つ瑠以も、ヘルプマークを付けることを主治医に勧められたことがある。だが、瑠以は断った。瑠以は鬱病の他に、聴覚過敏というか、周りの雑音が幻聴のように聞こえる症状を持っていた。疲れた時はより酷くなる。そのため外出する時は、常に聴覚過敏用のイヤホンを付けている。だが、最近ではそれも効果が薄れてきて、小さく聞こえる物音にも過敏になってきてしまった。だからその意味でもこのハンドメイドマーケットは”賭け”であった。この雑音と人込みの中で、いかに自分が生き残れるか、サバイブする意味でも参加していた。
他にも、ハンドメイド好きでよくマーケットに訪れては一点ものを買いにくる中年女性や(胸には軽い素材で作られたブローチが刺さっていた。こういうのが欲しいのよ~となんとなしに言われて瑠以は軽いショックを受けた。何故なら瑠以の作ったブローチは粘土製で重めだったからである)、親子連れ(男の子にはディスプレイに置いた粘土の目玉を一つ壊された)、どこかの民族衣装を着た外国人なども来ていた。
瑠以が作った中でも、特に目玉をイメージしたブローチは、この店の中ではその名の通り”目玉”商品としてディスプレイしていた。瑠以が作ったブローチはまあまあ客の目に止まったようで、色々ペタペタと触られ、什器からブローチたちが落ちたりしたことも何度かあった。
目玉をイメージしたブローチで作ったのは、粘土に目玉のビーズをちりばめたもの、目玉を粘土で複数作って合わせたもの、目玉をレジンで精巧に作ったものなどがあった。目玉シリーズ以外も一応作っており、天使と悪魔をイメージしたブローチ、蛇の怪物メデューサをイメージした蛇の鱗柄のブローチ、骨をイメージしたブローチなど、作れるだけ作った。ちなみにそのアイデア達は、書店でハンドメイド本やアート本をむさぼるように立ち読みした後、ハンバーガー屋で一番安く渋いコーヒーにオーガニックの砂糖をドヴァドヴァ入れて飲みながら、ノートにひたすら描いたものから来ている。
ただ、瑠以が作った目玉亭の世界観は、このほっこり感の強いハンドメイドマーケットでは少し独特すぎたようだった。
「見て~!目玉~!」
と二人組の若い女性に指を刺されたり、中年女性に
「ぐろかわ?だね」
とひきつった笑顔で言われたり、果ては…。
「あの店見ろよ…気持ちわりい~!」
瑠以がハッとして見ると、三人組の高校生くらいの男子がこっちを見て笑っていた。
「写真撮るか。マジきめえ」
とケラケラ笑っていた。
瑠以は赤くなって下を向いた。せっかく面白いと思ってアイデアをふり絞って装飾したのに。私の世界観は誰にも伝わらないのだな、と瑠以は泣きそうになった。だが瑠以は泣くことを何とかこらえた。
その時に瑠以は腕時計を見た。ああ、もう一時間しかないのか。たった一個も売れていない。そういえば、他の参加者さんの店は回っていなかったな。と思って立ち上がると、そうか、自分は一人で来ているから手伝ってくれる人もいないのか、と我に返り、瑠以はまた椅子に座った。だがやはり見ておきたいな、とまた立ち上がり、ふと隣のブースを見てみると、そこの店番と目が合った。
「あ、もしかして他のお店見ますか?」
店番の女性がガタリと椅子から立った。三十代くらいのショートカットのスレンダーな女性で、娘さんと見られる方と参加している方だった。
「私見ておきますよ」
「え、でも申し訳ないです」
私は手をぶんぶん胸の前で振った。
「え、全然いいですよ。手も空いてますし」
女性はあっけらかんと言った。
「え、でも」
「いやほんと気にしないでください。こういうことハンドメイド市でよくあるので全然いいですよ」
「じゃあお願いしてもいいですか?本当すいません…」
「全然だいじょぶですよ」
にっこりとした笑顔が、そこには張り付いていた。
「ありがとうございます…」
交渉成立。目玉亭はこの方に託された。
「え、これ四百円⁉」
ブースを立ち退いてからその女性が小さく叫んだ。
「こんなによく作ってあるのに?」
女性が見ているのは目玉をレジンで作ったブローチだった。
瑠以は近づいた。
「売れないんで、安くしてるんです」
「そ、そうなんですか?でももっと高くても…」
女性は笑顔を少しゆがませた。
「う~ん、ははは…」
瑠以は苦笑いをした。
その女性が売っているものは二千円くらいのマニキュアとレジンで作ったアクセサリーだった。クオリティが高いこともあるのだろうが、きちんと売り込みをしていたためか、まあまあ売れているのを私は横目で見ていた。
さて、どこに行くかな。とはいえもうあと一時間だ。目当ての店はあるから、そこに行こう。
私は二十分ほどマーケットを回った。鉱物を使ったアクセサリーの店では、鉱物標本を買ったし、豆本の店では三ヵ月かけて作ったというディスプレイが参考になった。どこも、私の店のように目玉で飾るなどはしていなかった。どこも、接客が上手くて、綺麗なものを売っていた。気持ち悪いものが好きなのはいけないのかな、接客が上手くないと売れないのかな、と瑠以は少し気持ちが遠のいていった気がした。
自分のブースがどこか迷ってしまったが、何とか辿り付くと、そこには隣のブースの女性がきちんと店番をしてくれていた。瑠以に気が付くと、またしてもにっこりと笑ってくれた。
「あの、ありがとうございました」
瑠以はペコリと頭を下げた。頭に付けたヘッドドレスが落ちそうになった。
「一つ売れましたよ!」
女性が声をうわずらせた。
「ええ!!な、何が売れましたか?」
瑠以はびっくりして言った。
「確かレジンの…目玉のブローチです。”素敵な世界観”って言ってた方もいましたよ」
「え~」
嬉しい。素直に嬉しかった。私は再度その方に感謝を述べ、自分のブースに戻った。
「あと十五分で終了します。出店者は~~~」
アナウンスが流れた。もう店じまいだな、と思い、ディスプレイを外していると、ある若い男子が近づいてきた。どこかの学校の制服を着ていた。
「あの…これ」
「はい?」
そこには粘土製の目玉があった。ディスプレイから外れたのか。
「ああ、ありがとうございます」
「あの…面白いですね」
「え?」
「いや…」
そう小さく呟くと、男子はそそくさと去っていき、二人組の男子の元に帰っていった。「気持ちわりい〜」と言ったあの男子たちだった。
ハンドメイドマーケットも終わりの時間になりそうだった。片付けが終わり、ふと目を前に向けると、あのヘルプマークを付けたゴスロリ風の女性が走っていた。彼女も出展者だったらしい。
よく見ると、彼女のピンク色のバッグには、目玉のブローチが光っていた。
たった一つしか売れなかったハンドメイドマーケットだった。だが、瑠以は何故だかそれでも良いじゃないか、と心に思っていた。自分の世界観が、誰か一人にでもに刺さっただけでいい。
瑠以は、帰り道、その売れたお金を、街中で自作のポストカードを売っている若い画家に使った。地面に広げたポストカードは、残念ながらあまり売れていないようだったが、瑠以はどうせなら、”そういう人”を応援するためにこのお金を使いたかった。
ポストカードを買った後、その裏を見ると、題名に「赤いブドウ畑」と書いてあった。
瑠以の目玉から、涙が一粒だけ零れた。
※「赤いブドウ畑」はゴッホが生前唯一売れた作品