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現代美術in瀬戸『底に触れる』を楽しんだ

愛知県瀬戸市で行われた『国際芸術祭「あいち」地域展開事業 現代美術 in 瀬戸「底に触れる」』を観た。

本展覧会は3年に一度行われる国際芸術祭「あいち」のプレ・イベントで、若手の現代芸術を県内のさまざまな地区で制作・展示するプログラムのひとつ。
今回は瀬戸市街の7ヶ所の会場で、瀬戸にまつわる芸術家や瀬戸にまつわるものを題材にすることを前提に招聘された10人のアーティストが作品を制作・展示していた。


この展覧会を見に行くに先駆け、愛知県図書館で開催されたキュレータートークも拝聴した。
講師は同展覧会のキュレーターでもある愛知県陶磁美術館学芸員の入澤聖明さん。1時間という限られた時間の中で凝縮された内容ではあったけれども、素人にも大変わかりやすく、話し方も上手で最後までしっかり楽しく聴いた。

お話の中では特に、瀬戸という土地が世界的に陶磁器制作に大変恵まれた稀有な場所であるということの説明がよかった。好きな街である瀬戸が誉められていたことも、積極的に学ぶことがなければ仕入れられなかったであろう知識を享受できたことも嬉しい。貴重なお話、本当にありがとうございました。

このキュレータートークのおかげで、現地ではほとんどキャプションを読まずに作品の意図を感じられたから、実際大変に役にも立った。やっぱり予習って大切なんですね。


会場はリーフレットの地図にあるAから順番に見て回った。今回自分が特に気に入ったのは瀬戸信用金庫アートギャラリーの木曽浩太さんの作品。

瀬戸の芸術といえばやはり北川民次だろう。市の図書館に描かれた壁画『無知と英知』は傑作で、初めて観に行った時は感激して、記念撮影までしてしまった。作者の木曽さんもこの作品に注目していて、現代に生活するご自身の解釈で『無知と英知』が展開されていた。
瀬戸で採掘した粘土を画材とした絵画は、焼成前の呉須を顔料とした民治の絵画に通ずるものがあり、グッときてしまった。
完全な余談だけれども、わたしも愛知県陶磁美術館のワークショップで瀬戸で採れる粘土で絵を描いたことがある。並べるのも烏滸がましいのだけれど、やはり限られた色しかない画材で描くと画面の雰囲気は似るようだ。

1年位前にわたしが瀬戸の土を使って絵を描くワークショップで制作した2枚。
上は韓国の日月五峰図で下は棟方志功の鷹の絵を真似しました。

最奥で放送されていた「無知」と「無知2(ムチ・ツー)」が経験ゼロで知識だけ享受してからキャンプに挑む、という動画も全部は見れていないけれどとても面白かった。機会があったら今度は全部見てみたいな。


木曽さんの作品に関しては、作品のモチーフや展覧会のロゴをシルクスクリーンで転写できるワークショップにも登場していた。
このワークショップは事前に用意された版を刷るだけなので、シルクスクリーンの本当に最後の最後だけが体験できるというイベント。以前、豊田市美術館でシルクスクリーンのワークショップをやった時は自分で絵柄考えたりして、時間はかかったもののかなり面白かったのだけれど、今回はそうした創造の機会は与えられなかったのが残念だった。
と、さんざっぱら文句のようなものを書いたけれども作家の作品を使用できるのはまたとない機会。木曽さんの作品に登場する「無知」の2人が選べる図案でビックサイズのTシャツを作って大満足だった。

ビックサイズTシャツ。ぼんやりとした色が亡霊みたいで可愛い。
夫にあげたらめちゃくちゃ似合っていた。最高。


ポップアップショップで展示していたユダ・クスマ・プテラさんのファミリーポートレートもよかった。
プテラさんの代表的な作品のひとつは集団のポートレート。単純に並んで撮るわけではなく、家族や団体など複数がひとつの個体になるように大きな布を被せて、そのうち1人だけが顔を出す。顔は人間の時もあるし、団体によっては動物の時もあるけれども、その集団に対して一番適切なものを選んで作るというのが面白い。
当然人数が増えれば増えるほど下半身が肥大化し、キリスト教の宗教画なんかに多い三角構図になりがちなのだが、そこが安定感を感じさせ、肖像としてはいい効果を生み出しているように感じた。

聖母像のように見えるポートレートだった。

現地ではポートレートを撮影する用意もされていたけれど、一緒に写ってくれる人がいなかったので断念。


田口薫さんの木版のワークショップにも参加した。

田口さんの作品は木曽さんと同じ瀬戸信用金庫アートギャラリーに展示されていた。壁に巨大な木版画、その足元に板木が飾られている。そういえば、鏡も左右は反転するけれども上下は反転しないんだよな、と版画を見ながらぼんやりと考えた作品だ。

会は田口さんの自己紹介からスタートした。
版画に打ち込み始めたのは結構最近のことで、元々は絵画を中心に活動されていたそうな。コロナ禍で画材を十分に用意するお金もなく、ホームセンターでなんとなく安価だった版木を手にしたのが始まり。それからは下書きもあまりせず思うままに彫っていくのが彼女のスタイルだ。

「木版って、編み物とか刺繍とかと同じで、やったら終わりが見えてくるから。そこが、黙々とやるのに、なかなかよいです」
という言葉が、彼女にはそんな意図は当然ないのだけれど、自分の性質を肯定しているように捉えられて嬉しかった。

「今回は好きなものを、思うがままに掘って、彫刻刀と仲良くなってください」というテーマで参加者各々が好きなものを彫り進めた。
各々、完成した作品はまとめて1枚の大きな紙に刷る。中心には田口さんの作品を。恐れ多くもわたしはその隣に自分の作品を配置させていただく。

わたしはなんとなく今回の展覧会と瀬戸のことを考えながら「思うがまま」に彫って行った。「無知」の2人やら、瀬戸川やら、市章やら、色々それなりに楽しかった今回の展示に想いを馳せながら、自分では満足できる出来になった。
ただ、最後の田口さんの講評で何を作ったのか尋ねられた時、恥ずかしがってしまって「思うがままに彫りました」とだけしか言えなかった。せっかくの機会だったのに。教えていただいた田口さんにも実に失礼なことをしてしまって、思い返しても、この行動の方が恥ずかしい。
後悔してもしきれない。


講評をしてくださる田口さんとみなさんの力作。

その失礼な行いの天罰だったか、持って帰るのにも大失敗してしまって、別に刷り上がったお持ち帰り用の作品にべっとりと新聞紙が張り付けてしまった。

もともと初版のものよりちょっとインクののり方が気に入らなかったしな、版画を始めるいいきっかけになったよな、と自分を励ますことにして、またきれいに一枚刷れたらみなさんにも見ていただきたいと思っております。


左からわたしの作品、田口さんの作品、参加者の方の作品。
みんな違ってみんないいね〜という和やかな空間だった。
わたしは自分のやつの左上の太陽が黒々と擦られているところが気に入っている。


以下、その他の会場で撮影したこまこました写真。


ひとつ目の会場・藤田クレアさん
瀬戸の街中で「拓った」形をもとにオルゴールのような音楽装置を制作。
古民家レンタルスペースの中央に残されたお風呂には、その制作の動画が放送されていた。

このスペースを残そう、と思ったスペース主もすごいけれども
この場所に映写しよう、と思った誰か(作者?)もすごい。


2つ目の会場・植村宏木さんの作品
会場の無風庵はかつて豊田にあった藤井達吉のアトリエを移築した場所。
小高い丘の上にあるこの場所は、両隣に太平洋戦争の慰霊塔もあり昭和時代を思わせる。
こちらは藤井達吉の画材や作品を並べたインスタレーション作品。


2つ目の会場・植村宏木さんの作品
ガラス作家の植村さんが用意した「瀬戸川の石」と「それを模したガラス」と「それを模した陶磁器」。
写真中央上のクリーム色は金属供給では追いつかなくなった時、日本軍が用意させた陶磁器製の手榴弾。


まとめる言葉はありきたりなものしか思いつかないので、何もなく、この場を閉じます。

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ida
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