キンモクセイの香り=年月

 社会人になり酒田を離れて関東で暮らし始め、酒田で過ごした年月をとっくに追い越してしまった。そのことについて後悔はおろか、深く考えたことさえなかったのだが、数日前に今年初めてキンモクセイの香りに気づいた際に、関東で長く暮らしているなと改めて年数を数えるということをした。
 こちらに住み始めてすぐの頃は、気づきさえしなかったし、気づいても、せいぜい近所にある家から(おなじみの)トイレの芳香剤が香っているのだろうと思っていた。その辺に庭木として生えているものだと知らなかった。キンモクセイという木が。
 初めてキンモクセイの木、キンモクセイの花の実物を認識したのは、会社の運動会(オエッ)準備をしに行った帰りに、一緒に歩いていた同僚が突然走り出していき、黄色みの強いミカン色のつぶつぶをつかんでクンクン嗅いでいるのに追いついた時だった。
 どうしたの?と訊いたわたしに同僚は満面の笑みで「キンモクセイだよー!」と教えてくれて、手の中のミカン色のつぶつぶをを大切そうにハンカチに包んで鞄にしまいこんだ。わたしはといえば、ただキョトンとなっただけだった。おそらく一度に処理するには情報量が多すぎたのだろう。
 そもそも北国で生まれ育ったわたしはキンモクセイが身近な存在ではなかった。キンモクセイの花はもちろんのこと、香りも知らなかったのだ。ましてやその香りが楽しみであるわけもなく、同僚の行動すべてがわたしにとっては初めてづくしだったのだった。
 それからそれなりの年月が過ぎて、キンモクセイが香っているねという言葉が何度もわたしの耳に降り積もってゆき、とうとう今年わたしは鼻先をかすめた香りに気づいて立ち止まり、あたりを見回して、ミカン色のつぶつぶを探すということをした。
キンモクセイの生け垣を確認し、香りを確かめ、そして納得して再び歩き出した。
 歩きながら、初めてキンモクセイの花と香りが結びついたあの同僚の笑顔を思い出し、冒頭の、キンモクセイが香る場所で暮らし始めてからの年数を数えることに至ったのだった。
 正直なことを言うと、キンモクセイが香っているのかな?→確認→納得、という機械的な確認でしかない。幼い頃から馴染みのある沈丁花がその年初めて香った時の、ソワッと官能的な気分にはならない。
 それでも、キンモクセイの香りに季節のうつろいを結びつけるようにわたしはなったのだ。それだけの年月を関東で過ごした。そしておそらくもうしばらくはここにいるのだろう。

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