「ノーム・チョムスキー:ChatGPTの偽りの約束」(ニューヨーク・タイムズ誌)について...意識科学イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?との関係(5-3)
はじめに
「ノーム・チョムスキー:ChatGPTの偽りの約束」(ニューヨーク・タイムズ誌)について...意識科学イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?(5-1) (5-2)の続き(5-3)です。
ChatGPTの偽りの約束(False Promise)なんとならWeak AIだから
チョムスキーは本記事でChatGPTを全面的に否定しているのではありません。大量のデータを解析し、パターンを探し確率性が高いアウトプットを算出するので、例えば、コンピューター・プログラミング、ライト・バース(light verse)の韻など限られた領域のタスクに役立つことを認めています。拙稿「Strong AI? Weak AI?ChatGPTはどっち?..意識科学イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?(4)」で触れたように、特定タスクに特化したWeak AIとしては認めているということです。ただし、多くの業種のタスクがAIにとって代わられると危惧する声が囁かれているように、実際にはチョムスキーが述べた領域をはるかに超える広範囲な領域でその機能を発揮しています。Weak AIと言え、決して侮れない進化を遂げているのは周知の通りです。
ChatGPTをStrong AIかのように騒ぎ立てる風潮に釘を刺す
チョムスキーは、ChatGPT自体にではなく、それをもって恰もStrong AIの到来かのようにもてはやす風潮に警告を発しています。情報処理の量、スピード、記憶において量的にヒトの能力を凌駕したと言うならいざ知らず、知的洞察力、芸術的創造性など、質的にもヒトより卓越したかのように誇張することに異論を唱えているのです。
拙稿「Strong AI? Weak AI? ChatGPTはどっち?意識科学のイージー・プロブレム?ハードプロブレム?(4)」で述べたように、Strong AIとはヒトと同等の汎用知能(general intelligence)を備えたAIを指します。かつ、意識をもち主体的体験ができなければなりません。ChatGPTとそれに類する機械学習プログラムは、あくまでも人工の知能であり、ヒトの知能とは質的に似て非なるものであることを訴えたいのでしょう。
拙稿「J・サール"The Chinese Room"(中国語の部屋)でStrong AIを否定...意識科学ハード・プロブレム ?イージー・プロブレム?(5)」で紹介したJ.サールも、チョムスキーの言語理論に異を唱えていますが、生物体ではない機械であるAIがそれを達成するのは不可能だと言っています。そして、いつの日かマシーンが意識を持つことが可能であると主張したD. デネットでさえ、恐らく、ChatGPTが意識を持ったStron AIであるとは認めなかったでしょう。拙稿「D. デネット意識の多文書モデル... 意識科学イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?(その3)」を参照してみてください。
ChatGPTがヒトの汎用知能(general intelligence)を持ちえないことを指摘する例
ヒトの知能/こころは、限られた手段を無限に駆使し少量のデータから効率的かつ”優雅に学習するシステムである。これらAI機械学習プログラムのように何百テラ・バイトもの多量のデータの相関関係からパターンを探し、確率性の高いものを推論するのでではなく、ヒトのこころは(体験を通して得られる)少量のデータとを限られた手段で説明(explanations)する、という創造的プロセスを通して知識を習得する。例えば、幼児は肉親などから耳にするほんの少量の言語データから母語の文法知識を無意識に、短時間に、自動的に習得する。それは遺伝的に備わった生得的言語能力によるからである、とチョムスキーは言います。(*1)
すなわち、観察、記述、推測、予測だけなら、これらAI機械学習プログラムは十分にできるが、ヒトはその上に説明ができることを殊更に強調しています。従って、1歳半くらいから何年かで一応の母語文法を覚えてしまうヒトの母語習得には、観察、記述、推察、予測以外に説明が伴うと述べます。幼児が覚えた文法構文を意図的に説明できるというのではありません。その為には、名詞、形容詞、動詞など、言語について語るメタ言語と特定の言語分析を学ばなければできません。すなわち、言語学者が追及するreflexive文法ということになります。幼児が習得する文法は、機能文法(functional grammar)と称し、言語を使用しながら自然習得する文法を指します。無意識の言語能力のことを言います。
例えば、「象は鼻が長い」「象が鼻は長い」「すしが食いたい」「僕が行ってくる」「僕は行ってくる」「花は買ったが花瓶はまだだ」「彼は英語がだめだ」日本語母語話者なら意図的に説明できなくても無意識にまちがいなくこれら文章の「は」と「が」を使い分けられます。無意識に「説明」できているからです。
チョムスキーの例です。英語母語話者なら”He is too stuborn to talk to"とい文を聞き、”He is so stuborn that he cannot talk to someone"(彼はあまりにも頑固で他の人と話をしない)ではなく、"He is so stuborn that nobody can talk to him"(彼はあまりにも頑固で誰も彼と話せない)、すなわち、"He is so stuborn to be be reasoned with" (彼は頑固で理屈で説得できない)という意味の構文であることを、無意識に分析し、説明し、理解できます。どうやらChatGPTにこの文をどう理解するか問うたところはそのように理解出来なかったのでしょうか。
このように、チョムスキーは言語生得説を唱え言語普遍性(universals)を主張しますが、これは仮説であり、賛否両論、喧々諤々の議論がされてきました。
また、チョムスキーは、言語はヒト特有の能力(species-specific)であって、ヒトの知能における言語の存在は大きく、言語は他の知識から自律する能力という立場に徹してきました。一方、ヒラリー・パットナム(Philosophy of Mind of Hillary Putnam)らは、言語生得説に対して言語はヒトの汎用知能で学習するという立場を取り、言語はgeneral intelligenceで習得すると主張します。いずれの立場にせよ、ChatGPTの人口知能はヒトの汎用知能とは異質であるという結論に変わりはありません。
「ノーム・チョムスキー:ChatGPTの偽りの約束」(ニューヨーク・タイムズ誌)について...意識科学イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?との関係」(5-4)に続く
(*1)説明と言う概念はチョムスキーにとって重要概念です。チョムスキーは、科学は事象を言語学(言語科学)を含め、それが科学であるためには事象を観察し、記述し、予測し、かつ、説明できなければならないと主張します。英語ではexplantory adequacy (Aspects of the Theory of Syntax)と言い、(5-4)でもう少し詳しく触れます。