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「プロジェクト発信型英語プログラム」の発想 ...[語学」からの決別(その1)

表紙写真 慶應義塾大学出版会 | 英語教育のグランド・デザイン |
グローバル社会を生きるための英語授業: 立命館大学生命科学部・薬学部・生命科学研究科 プロジェクト発信型英語プログラム


まえがき

筆者コラムFor Lifelong English掲載(2022年3月)掲載記事を2分割し、加筆修正してお届けします。

「英語を話せる人は何人いるでしょうか?手を挙げてください。」1978年から2014年までの現役時代35年間、最初の英語授業で必ず開口一番に発した質問です。手を挙げたのはみな帰国子女(注1)、それ以外の学生さんは膝に手を置いたまま、35年間殆ど変わらなかったしょっぱなの授業風景です。1990年代にはインターネットが普及しはじめて英語は日常「目にし、耳にする」ものの、「口にする」までには至らない現実が露呈された瞬間です。中学・高校で6年も主要教科として英語を勉強してきてこれでは大いに問題ありです。

柔道など6年も習えば相当上達します。柔道は普段の練習でも、選手権大会でも実際に技をぶつけ合うからです。いくら柔道の教本を覚えても身につきません。英語も同じです。単語、文法を丸暗記しても実際に使かわずして身につくわけがありません。学生さんにはこのことを自覚してもらいたかったのであえて「どうして話せないのでしょうか?」と聞いてみると、異口同音に「話す機会がなかったからです。」と予想していた通りの答え。このまま使う機会がなければ、大学でもう2年、計8年も英語を勉強したところで日常英会話さえできずに卒業することになってしまいます。続けて「話せるようになりたいですか?」と聞くと「なりたいです。」との答えが返ってきました。

更に「読み書きはできますか?」と聞くとパラパラと手が上がりますがどこか自信無さげです。そこで「みなさんノートを出してください。ディクテーションしましょう。」と言いいます。あちこちから「えー!]という声。中学1年生、2年生、3年生用検定教科書(三省堂)から英文パッセージを一つずつ取り出して読み上げディクテーションさせます。終わると正解を配り隣同士交換して採点させます。中1レベルで8割がた書けた人は5割弱、中2レベルで3割弱、中3レベルでは1割弱でした。簡単な聞き取りメモができないということです。

さらにさらに「では次は自由作文です。英文(150語)を配布します。読んで感想を書いてください。時間は15分です。」と続けます。5分で英語を読み残りの10分で感想を書かなければなりません。大学入試英語の勉強では英文和訳、和文英訳、穴埋め、正誤、並び替えの問題が中心ですから直に英語を読み書きした経験はありません。英文和訳していたら5分では読み切れず、それから書きたいことことを日本語で考えて和文英訳していたら10分では無理でしょう。頭の中はパニック状態で真っ白、2,3行程度書いたところでストップ!見ればスペルと文法ミスだらけ結果は散々です。あちこちからブーイングまじりのため息が漏れてきます。

話す機会もなければ、読む機会も書く機会もなかったということです。英語の「読む」「書く」は「聞く」「話す」より少しましというのが正確なところでしょう。訳読型の英語学習の限界です。学生さんにはそのことを自覚してもらいたかったのです。

そこで筆者は「みなさんがこれから受講する"プロジェクト発信型英語プログラム"では英語を使う機会を作ります。1週間後には挨拶、自己紹介くらいは簡単にできるようになり、1学年の終わりには日常会話はもちろん、英語でプレゼンテーション、ディスカッションができるようになります。そして2学年の終わりには英語で論文を書き発表できるようになります。」と切り出します。みな目をぱちくりしながら半信半疑、before-afterのbeforeの様子です。しかし、2学年後の最終授業、「英語で読み書き聞き話しはできるようになりましたか?論文を書き発表できるようになりましたか?」と聞きます。手を膝の上に置いたままの人は皆無全員が手を挙げました。国際学会で発表した学生さんもちらほらみな自信に満ちていました。、これがafterの様子です。(注2)

本プログラムは筆者のアメリカ留学10年間の体験を踏まえて開発されたものです。人は生きてきたようにしか教えられませんから。アメリカで英語学で博士論文を書くまでの経験をstep by stepに再現してみました。以下、その辺りから構築までの経緯を交えながら、このプログラムの根底に流れる発想を述べます。

尚、2011年に執筆した別稿「プロジェクト発信型英語プログラム....立命館大学生命科学部薬学部(在籍2008~2014)中間報告(2011)」: (1ー1); (1ー2); (2ー1); (2ー2); (3ー1);(3ー2)の6点は、最後に赴任した立命館大学にて導入・実装した本プログラム最新版の中間活動報告です。併せてお読みください。


アメリカの教育は小学校から大学まで一貫してProject-based Learning


アメリカの教育は、K-12、大学、大学院一貫して独創力を重視する発信型です。その下支えとして、日本の国語にあたるEnglishでは、コミュニケーション能力(communicative competence) 、マルチ・リタラシー能力(multiliteracies)、アカデミック英語能力の育成に力を入れています。K-12では基礎的能力を、(注3) 大学では専門的能力を、(注4) 大学院では更に上の研究スペシャリストとしての専門的能力を身に付けます。(注5)

1968年渡米前の12年間は、高校、大学、大学院では英文和訳、和文英訳に精を出していたので、渡米するやいきなりアカデミック英語スキルの欠如を痛いほどつきつけられました。以後、筆者の目標の一つは研究者としてのアカデミック英語を身につけることになりました。目標を達成するまでの10年間の道程については、筆者マガジン『アメリカ留学(1968-1978)を振り返って、恩師の方々に収録されている「アメリカ留学を振り返ってーMemorable Teachers」シリーズで(その1-1)から1年ごと時系列でお話しておりますのでご参照ください。

恩師をはじめとする大学コミュニティーの様々な方々に加え、周辺コミュニティーで出会った人々も筆者の目標の達成に大いに貢献してくれました。K-12や大学教育で培われたからでしょうか、友人はもちろんのこと会う人ことごとく発信型でした。仕事の段取り、談笑、噂話、政治談義、時には口論もあり、discussion、debate、negotiation活動満開でした。気が付けばすっかり発信モードになり、渡米4年後の1972年に始めたUniversity of Hawaiiの修士課程では、出願時から通常のアメリカ人志願者向けプロシージャーを要求されるなど以後何かにつけ英語ネイティブとして扱われました。(注6)

留学を振り返りコミュニケーションとはプロジェクト活動であると気付く

かくして1978年にGeorgetown University博士課程博士論文審査合格をもって目標を達成し留学生活に終止符を打つことになりました。改めてアメリカでの10年を振り返りながら、コミュニケーションとはプロジェクト活動であることに気づきました。大学をいくつか転々として専攻やプログラムこそ変われど履修した全授業が一貫してプロジェクト発信型project-based learningであったことに気づいたのです。別稿「アメリカのプラグマチズ(pragmatism)・・・原点は植民地時代、知らずしてアメリカを語れない」で述べたアメリカpragmatics の伝統が根強く残っていたものと感ぜざるを得ません。どの授業でも夥しい量の指定されたreadingsを読まされましたが読んで終わりではありませんでした。それからdiscussion、mid-term examinations、final examinations、mid-term papers、final papersなどの発信活動が続くのです。テーマを考え、リサーチする、まさにプロジェクト活動です。その10年間毎学期毎学期複数のプロジェクトを抱えていたということでしょう。

授業だけではありません。日常生活でも様々な課題続き、解決に向けてのやりくりはプロジェクト活動そのものです。プロジェクトはリサーチを伴い、調べ、聞き、話し、読み、書きなどの活動を伴います。かくして筆者の留学生活は公、私、大、小、様々なプロジェクトの連続でした。自動車(used cars)、アパート、仕事探しから、友人作り、音楽、スポーツなど趣味に至るまで枚挙にいとまがありません。Louisiana州Baton Rouge、California 州 Santa Barbara そしてHayward、Hawaii州Honolulu、また、Washington D.C.を渡り歩きながら語り尽くせない多くの出来事を体験し、夥しい数の人々と交流し夥しい数のプロジェクト活動に明け暮れたことになります。筆者にとって最大そして最重要プロジェクトは、研究者としてのアカデミック英語を身につけて英語学でPh.D.を取得することであったことは言うまでもありません。紆余曲折10年がかりの大プロジェクトでした。

1978年留学から帰り、慶應義塾大学経済学部の英語専任教員として赴任するや、授業にproject-based learningを取り入れようと考えました。1、2年生必修英語は筆者の学部時代と変わらず、英文和訳による「英文講読」と和文英訳による「英作文」の2本立て、通年、週1回90分の演習授業でした。それで、前者を英文のエッセイを読む→英文で要点を書き意見を述べる、後者を英文エッセイの書き方を学び英文エッセイを書く、といった発信型活動に変えました。量が多く苦情が出るかと思いきや、そんなことは一度もありませんでした。

当時の慶應義塾大学経済学部の学生は卒業後企業派遣で海外留学をする人が多くいました。それで初回授業では前書きで述べたような小テストをした後で、筆者の留学体験を添えてTOEFLテストについて話すと、食い入るように耳を傾け、授業を休むことなく意欲的に取り組みました。 留学やTOEFLテストについての相談も頻繁にあり、自由研究や選択英語には、そうした人達が集まり、「アメリカのトップ・ビジネス・スクールでMBAを取るプロジェクト」に取り組みました。国際センター副所長に任ぜられ、日吉キャンパスにある藤原記念会館をTOEFLテスト受験会場に導入したのもこの時です。正確な人数は覚えていませんが、筆者が推薦状を書きHarvard Business Schoolをはじめ名だたるビジネス・スクールに合格した卒業生は相当数(おそらく100名以上)おりました。

1990年に湘南ふじさわキャンパス(SFC)に創設メンバーとして移籍し、経済学部でのノウハウを活かし、本稿タイトルの「プロジェクト発信型英語プログラムProject-based English Program(PEP)」を立ち上げました。そして、2008年立命館大学生命科学部・薬学部・生命科学部・生命科学研究科に移籍し、SFCで積み上げたノウハウを活かし、同プログラムの最新版を導入しました。PEPはlifelong English learningモデルとしてK-12でも実施されています。

続きは「プロジェクト発信型英語プログラム」の発想 ...[語学」からの決別」(その2)にて


For Lifelong English 生涯英語活動のススメ(Official Site)もご覧ください

(注1)慶應義塾大学経済学部(1978~1989)の帰国子女は50名中1~2人、 慶應義塾大学SFCで(1990~2008)は英語圏からの帰国子女の数は多く、立命館大学生命科学部、薬学部(2008~2014)はあまり見かけませんでした。SFCでは帰国子女の皆さんには外国語科目の履修に当たり英語以外の言語を履修するよう強く推奨しました。英語媒体授業を取るように勧め、筆者自身、専門科目(English DiversityとEnglish in Social Context)は英語媒体授業で英語論文の書き方を教えました。
(注2)これは1990年~2008年慶應義塾大学SFCと2008年~2014年立命館大学生命科学部・薬学部でのことです。1978年~1989年慶應義塾大学経済学部では後述するように、アメリカの大学とTOEFLについて話しました。
(注3) English K-12: Education Worldなど参考になるでしょう。
(注4) The Harvard College Curriculumなど参考になるでしょう。
(注5)Harvard Business School のCOReなど参考になるでしょう。
(注6)当時は留学生はSAT(学部出願者)やGRE(大学院出願者)ではなくTOEFLスコアを求められていましたが、アメリカ留学歴2年以上の留学生にはSATやGREのスコアが求められていました。


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鈴木佑治
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