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アメリカ留学を振り返ってー思い出の恩師たちMemorable Teachers 1968(1-3)

表紙写真は1968年4月ルイジアナ州Baton Rouge 筆者撮影

「アメリカ留学を振り返ってー思い出の恩師たちMemorable Teachers 1968」(1-1)(1-2)の続き(1-3)です。




Readingの先生

Mr. Miller以外にこのEnglish Orientation Programには熱心で献身的な先生がいました。Readingクラス担当の40代の女性の先生、名前は失念しましたが、夫の仕事の関係で日本に滞在したことがあり、日本に大変興味を持ち、筆者ら日本人の受講生をお宅に招いてくれたりもしました。アメリカ50州の地理、産業、文化を紹介するessays集をテキストに使い、月曜日から金曜日まで毎回1州ずつ1週間で都合5州をカバーしました。各essayは平均約7ページで、訳読という悪習に馴染んでいた筆者ら日本人の受講生には大変でした。しっかり理解した上で設問に答えておかなければdiscussionについていけません。(*15)

この授業を通して1960年代には全米がCaliforniaブームで、憧れの目で見られている州であることを知りました。1968年4月に映画“The Graduate”がリリースされるやSimon&Garfunkelの歌声とともに全米を席巻しており、その舞台となったCalifornia州のLos Angeles、Santa Barbara、Berkeley、San Franciscoがとても輝いて見えました。先生もご自身の旅行体験から見たまま感じたままを活き活きと話してくれました。筆者ら受講者もクラス全員でその映画を観に行き、その後筆者はSanta Barbaraに半年、Berkeley近くのHaywardに3年住むようになりました。(*16)

English Orientation Program終了後には、4ヶ月前に来た道を引き返すようにLouisiana州、Mississippi州、Alabama州、Tennessee州、Kentucky州に行き、もう一度例の私設学校で一夏を過ごしました。9月末にKentucky州からOhio州に出て、U.S.Route66(*17)を西に向けてCaliforniaに旅立ちました。Illinois州、Indiana州、Kansas州、Texas州、Oklahoma州、New Mexico州、Arizona州などを通りLos Angelesに入りました。地平線に日が昇り、そして沈むのを見ながらの三日三晩続いたGreyhound Busでの長旅は、Readingクラスで各州について読んだessays集のおかげで意義深いものになりました。

Grammar, Pattern Practiceの先生

もう一人印象に残る先生はGrammarクラス担当の先生です。ヒスパニック系40代の女性でした。授業はpattern practiceの活動を中心に、文法説明は一切なく、文法、語彙、表現をナチュラル・スピードで聞けて言えるようになるまで、先生が言った事を何度も繰り返します。一人ずつ全員に回ります。全く手を抜きません。筆者は英語の文法、語彙、表現はかなり自信がありましたが、日常コミュニケーションで聞いて言う訓練を受けたことがありません。アメリカに来てその重要性を痛感していたので大変ありがたい授業でした。(*18)

例えはよくありませんが、第二次世界大戦中のアメリカ戦闘機spitfireの機関砲のように次から次へと文、語彙、表現を浴びせてきます。全員がしっかり繰り返すまで容赦なく繰り返します。失敗しても決して怒らず、できるまで忍耐強く接してくれました。強い使命感のようなものを持っているようでした。“OK, repeat after me!”“Good! Once more!”“No, listen up! OK?”“Again!”“That’s it!”そう言って矢継ぎ早に話しかけ、授業を進める顔が忘れられません。これが50分以上続くのですが、受講者を全く飽きさせなかったエネルギーに満ちた手腕は見事でした。

最終テストはTOEFL、Listening Comprehensionで失敗600点届かず

8月の初旬にプログラムは終わりました。その1週間前にプログラムの最終試験はTOEFLテストです。要は、このプログラムでは、最初に受けたTOEFLテストでクラス分けと能力診断を行い、最後に受けたTOEFLテストで習熟度を測った事になります。残念ながら、筆者はlistening comprehensionでしくじり、600点に届きませんでした。理由は明白です。最後の方のlecture形式の聞き取りが不十分だったのです。

名門University of Californiaから入学許可貰うも英文科の高い壁特別生として

その2ヶ月前にUniversity of California at Santa Barbara(UCSB)(*19) のEnglish Departmentに応募していたのですがやはり大学院への入学はrejectされました。しかしながら、special student status(特別生)でEnglish Departmentの授業を履修してもよいとの但し書き付きでした。渡りに船です。どこかの大学院に合格するまでこのプログラムに在籍するという選択がありましたが、アメリカの英米文学科で要求されるwriting能力は、実際の授業を取らなければ習得できないと痛感し、UCSBに行くことにしました。

筆者24才6ヶ月。本格的に英語力を磨くためにUCSBに向け旅立ちました。それからCalifornia州で約4年、Hawaii州 で1年、首都Washington D.C.で5年間の留学生活が始まります。その間に何とか生計を立てながら、目標に向けて勉学を続け、その都度その都度、筆者の人生を開いてくれた素晴らしい先生に出会いました。それぞれ別の機会に紹介します。

言語を習得するということは、様々なdialects、様々な話し方・書き方のstyles(intimate/casual/informal/formal/frozen styles)に通じるということです。それぞれの言説を言語学では言語変種(varieties)と言いますが、奥が深く、現地の生活に接して体験しなければ使えるようにはなれません。筆者はbaseballが上手くなりたくて、You Tubeで元MLBの名選手の解説をみますが、頭に入っても実際にやらなければダメです。いかなる言語、その方言、そのスタイルは長い歴史を持ち、その奥深さはスポーツなどの比ではありません。観るだけ聞くだけではなく体験しないと無理なのです。

LSUでのEnglish Orientation Programは、留学生の為の英語、アメリカの社会や大学へのオリエンテーションとしては最高でした。しかし、それは現実のアメリカ社会での直接体験とは程遠いものがありました。よって、筆者はアメリカ留学をアドバイスする際に、行った先の大学でのEFL/ESLの授業は最初の学期のみに留め、次学期には必ずレギュラーの授業を受け、かつ、現地の学生やコミュニティーと交流しコミュニケーション活動をするよう勧めてきました。

1960年代筆者らが受けたTOEFLテストは、listeningもreadingもexpressions-vocabularyが中心でしたが、600点以上を取るにはアメリカに住んだ経験がなければ所詮無理と思えました。国内に外国人はまれ、とは言え、外国には簡単に行けず、アメリカ映画やテレビ番組やレコード以外に英語に触れる機会がなかったからです。現在では多くの英語を話す多くの外国人がおり、外国に行くのも難しくありません。かつてとは比べ物にならないほど英語が溢れ、インターネットでは英語で行われているinteractiveな授業を受けることができます。よって、筆者が体験したEnglish Orientation Programやアメリカ大学院にこぎつけるまでの体験の一部は、今ではある程度なら日本に居ながらにしてできます。TOEFL iBT®テストの良い準備になるので、是非挑戦してみましょう。


(*15)このReadingクラスとMr. MillerのWritingクラスでは、母語を介さず直接英語で聞き・話し・読み・書きがしなければ、アメリカの大学や大学院では授業についていけないことを痛感させてくれました。日本での英文学の学士課程と修士の課程では、どのクラスも1年に1冊の原書を訳読して終わりでした。アメリカの大学ではどの授業も1回分のホームワークで、小説なら1冊読まなければなりません。相当のスピードで読まないと付いていけません。
(*16)筆者がアメリカで初めて見た映画です。英語が分からずちんぷんかんぷんでしたが、その1、2年後、ネイティブとコミュニケーションをするうちに分かるようになり、セリフまで覚えてしまいました。
(*17)U.S. Route 66筆者は3度このルートを旅しました。飛行機の旅では味わえないアメリカの広大さを感じることができます。Nat King Coleの“Route 66”は年配の日本人に馴染みのヒット曲です。
(*18)1968年頃はまだ、行動主義心理学(behaviorism)が根強く残っていました。ヒトを含む動物は刺激と反応を繰り返すことにより学習するという発想です。言語学もこの心理学の影響を受けました。外国語学習では先生が言うこと(刺激)に生徒が反応することで文法パターンを学習させるという方法論です。やがて生成文法(generative grammar)が優勢になりとって変わりましたが、一定の効果があり、根強く残っています。関連して、言語習得に関心ある読者にはSkinner-Chomsky論争は必須です。“Chomsky vs Skinner: Debate of the Century
(*19)University of California at Santa Barbaraは、Los Angelesの北100マイルほどの美しい街です。多くの有名人が住み、Michael JacksonのNeverland Ranchでも有名になりました。UCSBはその郊外のGoletaにありキャンパス内に美しいビーチがあります。映画“The Graduate”の最後の教会での結婚式とバスで逃げていくシーンはGoletaです。10 National Research Centersがあり世界的な先端研究機関です。

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