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【スナイパーと沈黙の小さき交渉人:YOSSY the Red Hot Backpacker】



ナゲッツに追いかけられることを生き甲斐にしているよっしーは、わずかな物音にも振り返り、目を細めて宙を睨みつけていた。

〝ちのせいかよ

舌足らずのため発音がおぼつかないが〝気のせいかよ〟と呟いている。

ナゲッツはソファの下、つまりよっしーが寝ている真下に潜伏していた。スナイパーのように。


静かに息を潜め長距離から一発の弾丸で相手を仕留めるスナイパー。


かつて兄と妹は、アメリカ同時多発テロの映像を観た衝撃でアメリカ陸軍特殊部隊に入隊。

卓越した潜伏技術と優れた射撃技術で兄妹は瞬く間に頭角を現した。

ワンショットワンキルで仕留める特殊能力を持つスナイパーとして高く評価されたナゲッツのコードネームは〝ブラックパンサー〟

兄は尊敬する人物にマルコムXの名をあげていたことから隊員たちのあいだで〝まるこむ兄さん〟のニックネームでいじられ慕われた。(その他名を連ねていたのがスパイク・リー、デンゼル・ワシントン、スヌープドッグ、ドクター・ドレー、カニエ・ウェスト、Nas、アイスキューブ、50セント、ピコ太郎であった)


その後イラクに派遣された兄妹は、幼少期にお互いをライバルとした戦闘で培った高い身体能力によって数々の戦果を上げ、仲間からも英雄と称された。

漆黒のボディで山中に溶け込むことは容易く、《生まれながらのスナイパー》であると隊員たちから羨望の眼差しが向けられた。

しかし、そのような中で人間への狙撃、仲間の死、度重なる戦地への遠征に兄妹の心は蝕ばれた。

対イラク戦争の銃撃戦により兄が負傷したその日、兄妹は除隊を決めて地元大阪に帰還。

兄の銃痕は今も円形禿げとなって痛々しく残っているが、驚くべきことはこのとき剥がれたかさぶたを何らかの方法により戦地から持ち帰ったということである。



〝あのきっせえやつは、ぜってえおれのきかくにいる!〟

〝あのちっさいやつは、ぜったいおれの近くにいる〟とよっしーは呟いていた。

ついに確信して重い腰をあげたよっしーは、いかにもブリ屋のナゲッツが隠れていそうな苺柄のフリース生地の膨らみを発見。全身で重みをかけ、殺意を込めて押し潰した。しかし温もりはあるものの、そこは既にもぬけの殻だった。



一定の場所にとどまらない。
それがプロのスナイパー。


ある場所から数発撃った後、敵が自分の場所に気付いて反撃してくる前に別の場所に移動する。

腕利きのスナイパーはこの戦術を強みとしてよく使い、混沌と混乱の雰囲気を作り出す。

ナゲッツは除隊して一般猫になった今もなお、この手法を潜在的に取り入れてよっしーを精神的錯乱に陥れている。

四六時中、自分が何者かに狙われているというよっしーのパラノイアは、かつて交渉人として活躍していた《沈黙の小さき交渉人作戦》時代にさかのぼる。



沈黙の小さき交渉人作戦 (Operation Silent Little Negotiator 略称:OSLN)は、テロ事件の首謀者と断定されている標的の隠れ家に膨らみながら斜め走りで侵入し、場合によってはうんこを投下することで相手に報復させる一連の軍事作戦の総称である。

突入は、防御側が全く予期しない状況で行われることが理想であり、探知を避けるため、標的の注意を突入部隊から逸らすためには人間以外が好ましいとされた。

暗闇において鮮明な視界を持ち、標的へ可能な限り接近するためには並外れて背が低い生物が相手に隙を与えると判断され、それらすべての条件を満たしていたのが猫だった。

国際テロ組織アルカイダを隠匿しているとされたタリバン政権に対して、アメリカ合衆国とイギリスの両国により全世界で一斉に猫の路上スカウトが開始され、間もなく大阪市北区の路上を歩いていた一般の猫がスカウトされた。それがよっしーだ。


このときのことを当時のスカウトマンはこう語る。


《小さな赤いバックパックを首からさげた彼は北へ向かってとてもゆっくり歩いていたんだ。

〝アメリカのたこ焼きを食べたことがあるかい?〟と私が訊ねると〝うるせえ、水曜のムショのメシはタコスだせ〟と彼は答えた。彼は生まれながらのニヒリストなんだ。それからうんこをした。それで決まりさ。》



入隊時のロールシャッハテストにおいて全ての質問に残忍極まりない殺意を連想する解答で見事にクリア。

ただし協力の見返りとして赤いバックパックいっぱいに食品を詰め込むことがよっしー側の条件であった。

のちにこのバックパックを首からさげた〝よっしーザ・レッド・ホット・バックパッカー〟という名のキッズ向けロボットトイが米タイガーエレクトロニクス社より発売されたが、歯を剥き出して中指をたてる仕草が不評を招き、また電池を入れずに作動するとの噂が横行したことにより発売1ヶ月で回収となった。

またマクドナルドでは期間限定のハッピーミールトイとして登場したが、こちらも販売数が伸び悩み発売3日で打切りとなった。

キャラクターとしては圧倒的に不人気だったよっしーだったが、特殊部隊で専門的な訓練を受けず天性の才能を発揮し、ゲーリー・Bomb・ブラウンと名付けられ勇名を馳せた。

食品には目がないよっしーだったが、便秘がちであることが考慮され、主食に軟便効果が期待される《ロイヤルカナン消化器サポート》が採用された。

ご褒美として噛みながら歯石を分解する歯磨きおやつ《グリニーズ》を与えられていたが噛まずに飲み込むため歯磨き効果を得られることはなかったが、このお気に入りのおやつはよっしーのトレードマークでもある赤いバックパックに入れてつねに持ち歩かれた。


大胆不敵に侵入し、絶妙なタイミングできばりにきばってうんこを投下。
標的が混乱に陥るなかスナイパーが監視のもと突入部隊が一気に身柄を拘束する。

これら数多くの紛争を平和的に収束に導いた功績により、ゲーリー・Bomb・ブラウンは歴史に名を刻むこととなった。


〝おじさん沈黙シリーズの人でしょ〟

潜伏していたナゲッツは国家機密のタレコミと共に軽快な身のこなしでソファの下から飛び出した。

よっしーは突然の襲来に驚いた拍子で走り出し、頭頂から激しく椅子に激突した。

腹いせにしばらく椅子を睨みつけて平静を保とうと努めていたが、ナゲッツの問いかけの言葉の意味のわからなさも相まって制御できない怒りが込み上げてきた。

〝誰がやねん〟



退役後、米軍に籍を置く科学研究チームによって脳から特定の記憶だけを消去する方法でよっしーの当時の記憶は抹消されていたのだ。

そう、人生最大の奇妙な体験をよっしーは憶えていないのだった。

退役軍人のセレモニーが終わった夜にアメリカを飛び立ったボーイング社製軍用輸送機《ぎゃらくしぃ》に乗せられたよっしーは、大阪市北区の上空から当時のスカウトマンに抱えられパラシュートで降下し、スカウトされた当時の現場にリリースされた。


このときのことを当時のスカウトマンはこう語る。


《小さな赤いバックパックを首からさげた彼は北へ向かってあてもなくゆっくり歩いていったんだ。
まるであの日の続きのように。

私は彼の後ろ姿に向かって〝グットラック〟と心の中でエールを送った。すると彼は振り返って中指を立てた。彼は生まれながらのニヒリストさ。》



ナゲッツを尻目によっしーは左腕の付け根あたりを無為に
23度舐めると、床に寝そべり平静を装った。

目を細めて天井を仰いだ。
視線ごとゆっくり顔を下ろし、狼煙をあげるべく目を細めたまま眼光鋭くナゲッツを睨みつけた。
ここからだ。

動きに緩急を持たせることに何にも増して重きを置くよっしーは、体の割に小さい足で素早く立ちあがった。

つま先立ちの前足を軸に弓なりに膨らませた体。
自分は今まさに子供の筆箱から出てきたばかりのフレッシュなコンパスであると自己暗示にかけながらゆっくりと円を描いて接近する。

その間標的から寸分たりとも視線を逸らすことなくここからがラストスパートだ。

加速する小さい足にそぐわぬ電光石火の神速で、狭い室内を壁から壁へと暴走する。その激しい振動により壁に掛けられていた額縁やオブジェが傾き、テーブルの上のマグカップは小刻みに微動した。住人がせっせと畳んでやっとの思いで積み上げた洗濯物のタオルや靴下の山が崩れ棚から滑り落ちる様はまるでテレキネシスを思わせた。破壊的なトルネードと化したよっしーはナゲッツの前でぴたりと静止した。完璧だ。

しかし華麗に決まったはずのクライマックスを見逃されていたことでよっしーは完全に頭にきた。

ナゲッツは兄とYouTubeを鑑賞していた。
切り株の上にばら撒かれた木の実やフルーツを目当てにやってくる鳥やリスやネズミの様子を固定カメラでひたすら撮影された、癒しを求める人たちのあいだで人気の高いコンテンツ動画だった。

あのマヌケのせいだ

世界中の冷蔵庫からすべての食品を食べ尽くしたとしてもこの怒りを鎮めることはできないだろうと絶望に暮れるよっしーは、小さい足でその場に立ち尽くしていた。

この華麗なショーに注目する者が皆無であるのは一目瞭然だった。

しかしこの程度のことで怯むことのない強靭な精神を持つよっしーは、いったん元いたソファに戻って再び出直した。自分の存在を主張するかのように6フィート先にまで届くほどの唾を撒き散らして叫んだ。

〝おまえら見ろや!〟

走行スピードを維持しつつ、給水ポイントを通過するときに一口だけ水を飲んで走り去る手法は、正月にテレビで見た箱根駅伝のランナーを意識していた。それでも彼らはYouTubeに夢中だった。

まだ大丈夫だ。
俺には『バウンドオンザシート』が残っている。

床を歩いていると見せかけて、姿勢を保持したまま突然椅子の上に飛び移る『バウンドオンザシート』。
俺には見た者すべてを不快にさせる最終兵器が残っているから大丈夫だ。
まるでいただけない映画のラストみたいに俺の姿をストップモーションで目に焼き付けるがいい。
俺は生まれながらのスコティッシュフォールド。

おまえら呑気な野良猫どもに目にもの見せてやる。(END)


『スナイパーと沈黙の小さき交渉人』
(2023)

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