身も心も弱らせる言葉
20年ほど前の話です。新聞に掲載されていた小学生の詩をなにげなく読み衝撃を受けました。「風邪で熱を出して苦しかったけど、すぐに治るから大丈夫とお母さんが笑ってくれた。そうしたら次の日本当に治ったよ」というような内容でした。
十行にも満たないその作品に本当に驚き、そして気づかされました。子供の頃、母親に看病されるのがとても嫌だったということに。
わたしが風邪をひいて熱にうなされていると、枕元に来た母親は必ずこの世の終わりのような大きなため息をつきました。なかなか下がらない体温計の数値を確認して「困ったねぇ…」とつぶやきながら。…あー。思い出すだけで病気になりそうです。
ただでさえ具合が悪くて不安なのに、その態度を見ているとまるで自分が不治の病に冒されたような絶望を感じました。弱っている身体の中で、さらに心も小さく縮こまります。
喉の痛みが不快ながらもいつのまにか眠り、やがて夜中にひとり目を覚まします。今が何時なのかもわからないなか、外を走る車のヘッドライトの光がカーテンの隙間から射し込み、天井に映ってすばやく走り去るのを眺めることしかできません。
そうして治って学校に戻ってみるとみんなはいつもと変わりなく、自分はいてもいなくても同じ存在なんだという不思議なかなしみを感じたものでした。
詩に書かれていたことはおそらく当時のわたしが望んでいたものなのでしょう。だから新聞を見た時に自分の中の彼女がびっくりしたのだとおもいます。こんなふうに前向きな言葉をかけて励ましてくれる「お母さん」がこの世にいるのを知らなかったのです。
これを読んでくださっているあなたにはどのような看病の思い出があるでしょうか。もしかしたらこの詩のように「寝てれば治るよ、大丈夫大丈夫!」なんて心強い言葉をかけられた方もいらっしゃるかもしれません。
繰り返しになりますが、わたしはいつも
「困ったねぇ…」( ´Д`)=3 ハァァァァ………
でした。
本当に些細な親との記憶ですが、こうしたことの積み重ねが個人のものの考え方を作っていくんだなとあらためて感じました。発熱くらい大丈夫と言ってくれる親に育てられた子供と、ただの風邪なのに余命いくばくもないかのような暗〜い顔でため息をつく親に育てられた子供( ༎ຶ‿༎ຶ )では、長じて影響があるに違いありません。
しかしもちろんそれは自分の意思で変えていけます。ですからわたしはこれからもなるべく光に照らされている方へ軌道を修正していくつもりです。
子供のぬえちゃんへ
風邪?寝てればすぐ治るよ。大丈夫大丈夫!
元気になったらパフェ食べに行こう(◠‿・)—☆