降り積もる小さな不満

長年使っていたプラスチックのかごが割れてしまったので、昨日ごみ袋に捨てました。しかし今日帰宅すると、なぜかそのかごが台所で使われていたので唖然としてしまいました。

もちろん母親の仕業です。自分が決断して処分したものを勝手に拾われるのは本当に不愉快なものです。こんなことがあるから、家の中でごみ袋に入れたとしても外の収集所に出すまでは油断ができないのです。以前も似たようなことがあったのでうんざりしています。

最近母親は台所を「片づけている」つもりらしく、わたしの物を勝手に移動させるので閉口しています。毎日使っているものを戸棚の中にしまったり、手の届きづらいところに置いたりします。
もちろん何の断りもないのでわたしにとっては決して「片づけ」ではなく「気がつくと物が不便な場所に動かされている迷惑行為」にすぎません。やめてほしいと言うことすら嫌なので、ポルターガイスト的怪奇現象だとおもうことにします。

それから、母親がドライヤーを巾着袋の中に入れるのでいらいらします。洗髪回数の少ない彼女にとってはたまにしか使わない家電なのでそういうしまい方をするのかもしれません。しかしわたしにしてみれば「しょっちゅう使うものを何でいちいち袋から出したり入れたりしなきゃいけないわけ?(怒)」としかおもえません。

一人暮らしならそれで構いません。けれども同居人と共有している道具の扱いに、そうした「自分にとって都合のいいやり方」を通そうとするのが母親の身勝手なところです。
勝手といえば万事がそうです。ごみ袋から物を拾うのも、おそらく彼女にとっては「まだ使えるから使おう」と考えたからやったという単純な行為にすぎず、それによってわたしがどういう気分になるのかなどどうでもいいのです。そんなことは考えもしないのでしょう。

しかもその、わたしの気持ちを踏みにじってまで拾われたかごの使われ方は見るからに無理やりです。必要のない場所に置かれ、そこに収納する理由のないものが入れられています。
劣化し、縁が割れてギザギザになったプラスチックのかごのおかげで台所が貧しく見えます。おまけに、かごに入れられたものは前よりも使いづらくなっています。
まさに何の意味もない「片づけ」で、捨てられているのがもったいないからとりあえず拾ったけど特に使い道はないから適当にやったということが丸わかりなのです。

前に知り合いが「同居している義母がごみ袋を勝手に開けて文句を言ってくるのが本当に嫌だ」とこぼしていましたが本当にその通りです。親の世代だともったいないという気持ちが強いのかもしれません。だからと言って人の捨てたものに口を出すのはよくないとわたしはおもいます。

この文章を読んで下さっている方の中にも、このような経験のある方はいらっしゃるでしょうか。わたしはものを捨てるとき、その存在と向き合って悩み、罪悪感に折り合いをつけます。充分に使い切ったという納得も必要です。そうした過程を経てようやく捨てると決断できます。
そうしてごみ袋に入れてお別れしたはずのものが他人の手でいつのまにか取り出されているのを目撃する瞬間、逡巡のすべてを無に返されたようで怒りと悲しみをおぼえます。しかもその非道な相手はただ「もったいないから拾った☆」 という軽さ…。到底わかりあえるものではないという絶望を感じます。

というわけでわたしは母親に不満を漏らすこともなく、勝手に動かされたものを黙って元の位置に戻すだけです。あぁ、今日も元気な霊がいる。悪霊退散。

〈9/8追記〉
プラスチックのかごは予定通りごみの日に処分しました。しかしその後、わたしが捨てた蓋つきの缶が再利用されているのを見てしまいました。あ~やだやだ…。