同居人へのいらいらを減らしたい①
こちらは、わたしの好きなクリエイターであるあしかこ*さんの作品です。なかでも印象的なのが『義母がウインナーの袋を開けたまま冷蔵庫にしまうので、においが充満して嫌だ』というお話です。
初めて読んだ時は衝撃を受けました。「こんなこと(褒め言葉です)描いていいんだ!いや『こんなこと』こそが大事なんだ!」と感動したのです。
わたしと母親との間にも、このウインナー事件のような、どうでもいいようで決してどうでもよくない問題がよく起こります。一つ一つはあまりにも些末で、気にすることすらばかばかしいともおもえるような出来事です。
たとえばの話ですが、同居人が開けたドアを閉めない、靴下を脱ぎ散らかすなどの行為を何度たしなめても改めない。自分が黙ってその後始末をしていれば何事もないように日々は進む。しかし確実に心はむしばまれてゆきます。
たまに起きる大きな事件よりも、こうした毎日のもやもやの積み重ねの方が結果的にわが身を苦しめるものとなるのではないでしょうか。あしかこ*さんの作品を読み、小さな違和感を無視しない重要性にあらためて気づかされました。
自分には相手の考えていることが理解できず、相手には自分の考えていることが理解できない。どんな問題も要約すればそれだけであり、相手が間違っていて自分が正しいというわけではありません。しかしお互いがありのままに生活をすると衝突が生まれてしまう。これは単純ですが重大な問題です。
複数人が同じ家に住むとなると、こうした価値観の相違に対するなんらかの解決策を自分で編み出さなければいけません。相手を変えることはできないからです。
これはわたしが様々な本を読んで考えたことなのですが、 人はみな自分の心の中にある国の王様なのだとおもいます。だから、自分国の法律に反する他人の言動に心を乱されるのです。
たとえば心の中に『遅刻をするべきではない』という法律がある人は『時間を守らない人』にイライラします。しかし『時間を守らない人』の心の中には『遅刻をするべきではない』という法律がないので、約束の時間に平気で遅れるし、たしなめても聞き入れてくれないわけです。
実際にわたしこと鵺が、自分が治める鵺国にて非道な行いを尽くす母親を断罪しても、何を言われているのかわからないというような反応をされます。
長くなってきたので今回はここまでといたします。 次回は具体例をあげ、どうすれば少しでもストレスを減らした生活ができるかを考えたいとおもいます。
※わたしは厳密にはカサンドラ症候群ではありませんが、当事者の方の発言に共感することが多いのでタグをつけました。「宇宙人と話しているようだ」「日本語が通じない」という感想を見ますが、わたしもいつもそうおもっています。共通言語を見つけられるとよいのですけれども…。