女になるなという呪い

わたしは子供の頃から、母親がときおり自分に見せるおかしな言動が気になっていました。彼女はわたしのちょっとした行動で突然不機嫌になり、もぐらたたきのようにハンマーを振りおろしてきます。叱られるような悪いことをした覚えがないので、いつもわけがわかりませんでした。

成長してから気がついたのですが、どうやら母親はわたしをずっと子供にしておきたかったようです。この家の中で女は自分だけだという自尊心があるらしく、わたしにそんな部分を見つけると敏感に反応し、まるで自分の立場がおびやかされるとでもいうように攻撃を仕掛けてくるのでした。
本人に自覚はなかったのかもしれませんが、わたしはそのにくしみのようなものを確かに感じ取っていました。 母親はわたしに、女になるなという呪いをかけ続けていたのです。だから娘が色気づくと嫌がるし、台所にも入れなかったのでした。

以下、わたしがもぐらとして唐突に叩かれた事例を挙げてみます。


・「泣けばなんでも言うこと聞いてもらえていいね 」
初めて違和感を抱いたのはこのときでした。おそらく幼稚園の頃、どこかに連れていってほしくて(覚えていませんが行楽地だとおもいます)父親に泣きつきました。それがしぶしぶ聞き入れられたときに、そばにいた母親がわたしに放った一言です。どうして意地悪な言い方をされるのかわからず困惑し、傷つきました。

子供が自分の思い通りにならずに泣きわめくのはよくあることです。しかし彼女の反応は、わがままな子供をいさめる母親としてのものではなく、自分の夫に甘えつくよその女に対するような、嫉妬を含んだつめたいものでした。


・「あたしはその10倍痛いんだよ」
生理痛が辛く、しゃがみこんで苦しむ小学5年生のわたしに対して母親が放った一言です。しかも立ったままわたしを見下ろして。ひどすぎますね。わたしはすでに当時の母親の年齢を超えましたが、どうしてこんなひどい態度を取れるのか本当に不思議です。

生理というわけのわからない現象にとまどい苦しむ娘に対してこの仕打ち。体調の悪そうな人を見かけたら他人にだって大丈夫かと声をかけるでしょうに、あまつさえ意味不明なマウンティングをかましてきました。この言葉からも、ガキが一丁前に女の顔しやがって、というような憎々しさを感じました。

わたしは最初から生理痛が重い方でした。いまでもそうです。だからもしわたしが初潮を迎えた小学生の女の子に接する機会があれば、これまでの経験から得たさまざまな対策を教えたいです。頼まれもしないのに「きっと役に立つから聞いて!ね!」と熱く語ってしまう気さえします。しかし母はなにも教えてくれませんでした。

母親が使っていたタンポンを見て「どうやって使うの?」と聞いたら「3年後に教えてあげる」と返されそれっきりでした。説明しづらかったのかもしれませんが、うやむやにされた不信感が長く残りました。結局どういうものなのかは友達が教えてくれました。

家庭での性教育も一切ありませんでした。学校での授業だけが知識源でした。性について教えるのは、親がすべき大切な仕事のひとつで、学校や世間に任せっきりでいいものではないとおもいます。現にわたしは幼い頃から何度か性的嫌がらせを受けましたが、なんの知識もなかったので、あれはなんだったんだろうという不快感を持ち続けたまま誰にも話しませんでした。人に相談するという選択肢すらなかったのです。

 もし当時からある程度の知識を身につけていたなら、自分のされたことに違和感をきちんと覚え、親や先生に打ち明けることができたかもしれません。

・「あたしそういうかっこ嫌い!」
家の中で初めてショートパンツを履いた高校生のわたしに母親が吐き捨てた言葉です。当時ジーンズのリメイクが流行っていたので自分でもやってみたいとおもっていました。そこで着古したパンツを短く切ったのですが、かわいい服ができたとよろこんで身につけたわたしの心は一瞬にしてしぼみました。

 これもいまおもうに、10代の少女の生足がなにかいやらしいものとして彼女の目に映ったのでしょう。そんな理由で一方的に毛嫌いされるなんて迷惑以外のなにものでもありません。
彼女とわたしは別の人間です。彼女の嫌いな格好をわたしがしたからといって責められるすじあいはありません。誰だって自分の好きな服を自由に着ればいいのです。

そもそもわたしにはずっと選択肢がありませんでした。母親の選んだ服を着せられ、母親と同じ髪型をさせられ、自分の髪を洗うことも許されず、人には「お母さんにそっくり!」とばかり評される子供でした。父親に似ていると言われたことは一度もありません。自我らしいものが芽生えた中学時代には、これまでの髪型と正反対のものを自分で選びました。

わたしは化粧をしません。恋愛をしたことがなく、性的な行為の経験もありません。世間ではかなり少数派の存在でしょう。自分で選んできた道だとおもっていますが、もしかすると、女になるなという無言の圧力を受け続けた影響である可能性もあります。

以前知り合いの方に、わたしがコーヒーを飲まない理由を「子供の頃から禁止されてたんですよ」と説明すると、とても不思議そうな顔をされました。そして「え?もう大人だよね?」と指摘されたのではっとしました 。親にだめだと言われたことを、成人してもなお愚直に守り続けていたのだと初めて気がついたのです。

洗脳をされている本人には自覚がないそうですから、まずは自分自身に対して、もう思い通りに生きていいのだという許可を与えることから始めることが必要なのかもしれません。

わたしは美しくなってもいい。コーヒーを飲んでもいい。恋愛をしてもいい。好きな服を着ていい。好きなことをなんでもやればいい。親に嫌がられてもわたしには関係ない。

関係ない。