自分の不潔さを知らずにいた子供時代の話
母親が決めた法律
自分で髪を洗ってはいけない。
お風呂で髪を洗ってはいけない。
夜に髪を洗ってはいけない。
風邪をひくから。
わたしが子供の頃、母親に言われていたことです。幼かったので、特に疑問を持たずに従っていました。
この条件によると、自分の髪は母親に洗ってもらうしかありません。昼間に限られるので、学校のある日もだめ。しかも母親の腕には障害があるので、子供の洗髪はなかなか大変な仕事だったでしょう。当然実行される頻度は低いものでした。
いまでも覚えているのは小学校低学年の頃のことです。わたしは母親から受け取った600円をにぎりしめて近所の美容院に通っていました。シャンプーをしてもらうためです。
当時は、美容院という大人の空間に子供ひとりで入ることにちょっとした緊張と高揚を感じていました。階段を上がってお店のドアを開けると、髪を茶色に染めた美容師のお姉さんたちが「いらっしゃいませ〜」と迎えてくれます。
待合室で少女漫画の雑誌を読むのが楽しみで、順番が来て呼ばれるのが惜しいほどでした。
いまおもうに、わたしはペットのようでした。母親は、自らが課した決めごとでありながら実行に移す気力も体力もなかったので、子供が汚れてきたなとおもったら自分で洗わず美容院に行かせていたのです。犬をトリミングに出すように。
たまにシャンプーされるためだけにひとりでやってくる女の子を、美容師さんたちはどう見ていたのでしょう。
わたしの家…なんか変かも?
そのあと他の町に引っ越し、美容院には行かなくなりました。かといって、家での洗髪回数が増えたわけでもありません。それでもわたしはごく普通にすごしていました。なにもおかしいとかんじていなかったからです。
同じクラスの男の子に「フケすごいよ」と指摘されたのは六年生の頃でした。わたしは驚きました。そんなことは考えたこともなかったからです。
なんと答えればいいのかわからず「あ、そう?最近ちょっと洗えなかったから…」などと言ってごまかしました。 それが、自分は不潔なのかもしれないと気づいた最初のできごとでした。
やっぱり変なんだ
決定的だったのは、旅行先のお風呂場でのことでした。 夜に髪を洗ってはいけない、お風呂で髪を洗ってはいけないという“法律”にわたしはずっと従ってきました。でも、そのときどうしても頭がかゆかったのです。
さいわい母親が一緒にいなかったので、わたしは勇気を出して、一人で髪を洗ってみることにしました。 しかし、なにぶん初めてのことなのでうまくいきません。
もたついているわたしに、同行者の大人の女性たちが声をかけてくれました。 そこで、自分で髪を洗うのは初めてなのだと話すと空気が一変しました。
彼女たちは驚き呆れ「いままで大切にされてきたのねぇ〜!」と言っていっせいに笑ったのです。 そこに嘲りが含まれているのがはっきりと伝わってきたので、消え入りたい気持ちになりました。自分の置かれている状況が一般的ではないことを初めて知らされたのです。
お風呂から戻ってきたわたしを見た母親は「(まさか)髪洗ったの?!」と怒りました。
わけがわかりませんでした。わたしはちゃんと言いつけを守っていた。それなのに、みんなに笑われた。ばかにされた。
わたしは大切にされている?本当に?
自分で髪を洗うことのなにがいけないの?なんで怒るの?
おもったことは、なにひとつ言えませんでした。
そのあと中学生になったわたしはお風呂で髪を洗うようになり、母親と同じようにされていた長い髪も切りました。はじめは怒っていた母親も、次第になにも言わなくなりました。
成人したいまおもうこと
こうしてなるべく冷静に振り返ってみると、本当におかしな決めごとを押しつけられていたのだと実感します。
自分の体の一部を自由にできないなんて、とんでもないことだとおもいます。風邪をひかせたくない、あなたのため、という体で、子供を不潔にしておくなんてひどい。他人の体や行動を管理するなどあってはならないことです。
ましてや月役を迎えたばかりの成長期の女の子が、同級生の男の子から突然自身の汚さを指摘されるなんて残酷すぎます。
しかも男子が無邪気に口にするということは、早熟な女子たちは、みんな気づいていたけど黙っていたに違いないのです。なんという追い打ちでしょうか。
当時はかなり衝撃を受けましたが、同級生の男の子と女性たちには本当に感謝しています。もしそうした機会もなく成長していたら、いまでも法を遵守していたらと考えるとぞっとします。
価値観の相違
母親はいまでも昼間に髪を洗います。入浴とは別に、服を着たまま台所の湯沸かし器の前で身体を倒して。
彼女の過去になにがあったかのかはわかりません。 もしかすると母親も、そのまた母親からそう教育されていたのかもしれません。でもそれは教育ではありません。
昼間に髪を洗うのが好みならそうすればいい。でも、それをあたかも世の中の常識のように(それをしない者が非常識であるように)他人に強要するのはよくないことです。それが幼い子供ならなおさら。
母親が決めたことや、ささいな一言は、いまでもわたしのなかに存在しています。それを含めて自分の人生ですが、おかしいと気づいたらすこしずつそのしがらみを取り去ってかろやかに生きてゆきたい。
そうおもっているので、はじめにこのことを書きました。
読んで下さってありがとうございました。
ひとつ、荷物をおろせました。