松
今日は朝からバイトがあって、古屋みたいな建物の屋根の上に登った。
同じ高さくらいに、松の木が見えた。
いつも行ってる水道のバイト。
基本的に俺は見てるだけで、作業のほとんど社員の方がやって下さる。
今日は初めて、元請けの会社の方が2人いらしてて、こちらの作業を見ていた。
俺がバイトする企業に仕事をくれている人??
聞くところによると俺と同じ歳くらいのインテリジェンスメガネさんみたいな男性と、キビキビキャリアウーマンみたいなショートカットのこれまた若いキレイな女性。
なんか。
俺は社員さんの作業を見てるだけだから、こっち見られても困るんだけど。
「あいつ何もやってねぇじゃん」
「その歳で何もできねぇの?何の技術もないの?」
「今まで何してたの?」
みたいな目で見てるように感じた。
いや別にそんなことは言ってきてないんだけど。
まぁいいや。
そんな目線を横目に、俺は青空晴れ渡る空を仰いで、松の木を眺めていた。
あいつだって何の技術もない。
松の木はどっしり幹を地面に突き立てて、自信満々に聳え立っているが、何の技術もなければ、何を成し遂げたわけでもない。
でも松の木は何の負い目も感じず、どっしり生きている。
俺は何か考えてるだけましだな。
松の木は何を社会に役立ててる?
せいぜい二酸化炭素を酸素に変えてるくらいだろう?
別にほとんど何もしてない。
俺と同じ。
長い長い宇宙の歴史の中の、広い広い宇宙の中の広い地球の中の小さな1つ。
俺というほんの小さな枠組みの中で、俺がどう生きようが、この世界からしたら何も変わらない。
別に宇宙の歴史は何も動かない。
微々たる物。
俺が世界に影響できることなんてたかが知れてる。
俺の人生がどうなろうと広くて長い宇宙の歴史に何の影響もない。
じゃあ何のために生きてる??
じゃあ俺同様、今まで人類誕生から700万年生きてきたすべての人類、また、いま生きているすべての人類の人生は無意味か?
700万年前から今まで、命が繋がっているのが素晴らしいというのは一旦置いとこう。そもそもでかい宇宙からしたら地球がちっちゃい。
歴代人類の軌跡は無意味なのか?
否!世界からしたらその1つは大したことなくとも、自分の世界は自分の中に広がると考える。
俺が楽しいと感じる人生。俺が幸せを感じる瞬間は俺の世界にとっては大いに意味のある瞬間だ!
俺の世界は俺がどう感じているかのみ。
俺が楽しいと思えることが、俺にとってはすべてなんだ。
もう俺がどう感じるかだけ考えればいいんだ。
だからといって、「自分だけ良ければいい。じゃあ人の物を盗んで、人を騙して、楽して暮らそう。他人は蹴落とそう」
じゃない。
綺麗事で嘘くさいけども、なんやかんや言って、人のために何かしてあげるというのは結局自分の幸福につながる。
おじいさんに道を教えてあげる。
ぶつかりそうになったとき道を譲ってあげる。
それが結局自分の世界の光に繋がる。
他人を蹴落とすと結局自分の世界に申し訳なさや、曇りが生じる。
とにかく自分が幸せだぁと思える人生にするべきだ。
話が逸れたけど、こんなこと考えてる時点であんまり俺は幸せじゃないのかと思ってしまった。
会話が盛り上がってるときに、会話ってどうやったら盛り上がるんだろう?と考えない。
同様に幸せで幸せでしょうがない人は幸せだの宇宙の中の自分だのについて考えないだろう。
でもこれを考えられるっていうのは幸せなのか?
これを考えること自体が結構楽しいので、もういいのかもしれない。
何というか、バイト中暇すぎて、松を見て、こう思った。